手放すということ
私はIBSになってから、そのことを長年どんなに仲の良い友達にも話せなかった。
それは初めて母親に症状のことを打ち明けた時、
「そんなの気のせいでしょ」
の一言で片付けられた上に、私が話しかけたところまで、見ていたテレビを巻き戻して見始めた。そんなことがあったからだ。
症状が出始めてから半年以上、一人でずっと悩んできて、毎日「今日こそ言おう」と思いながら言えなくて、ようやく言えたのに、見放されるような態度を取られたことがものすごくショックだった。
いちばん味方になってくれるであろう母が、この態度なら、他人である友達には絶対理解してもらえないだろうと思った。
もう誰にも言えないしバレないようにしなくちゃいけないと思った。病気のことがわかったら、自分は受け入れてもらえないかもしれない、友達がいなくなるかもしれない、そう思った。
それから10年以上、誰にも話せなかった。
ようやくアーユルヴェーダを一緒に学んだ仲間に、はじめて自分の病気のこと、学生時代の経験を話した。そしてそんな本当の自分を受け入れてもらうことができた。
ずっと自分の中で抱え込んでいたものが手放せたような感じだった。
「人に"話す"ことはイコール、手"放す“こと」なんだと思った。
不思議と人に話せたことで、症状自体も和らいでいくような感じがあった。
そしてこの経験からさらに2年ほど経ち、はじめて高校時代の友人に全てを打ち明けてみることができた。
話すまではそれが自分の中ではすごく大きな問題で、とても勇気が要るし怖いけれど、話してしまえば、不思議とそのことがとても小さなことに思えた。
話したことで自分から離れていき、小さく思えるということなのかもしれない。
私にはまだまだ手放したいことがたくさんある。
それは簡単ではないけれど、手放せたあとすごく楽になることを知ったから、ちょっとずつでも手放す勇気を持っていたい。