Δ19 許すことと受け取ること
数ヶ月前に急に手首が痛くなって仕事ができなくなってしまいました。
その時のやりとりです。
手首が痛いのはなぜ?
痛くない状態に戻るには何を変えればいいの?
今は痛いですか?
痛くありませんね。
いつ痛みを感じるのでしょう?
重さのあるものを持ったり、掴んだり、押したりする時ですか?
単刀直入に聞きましょう
あなたは重たいものを持つのが嫌なのでは?
力を使う仕事が嫌なのではないでしょうか。
そしてそれのどこがいけないというのでしょう。
嫌なら嫌でいいのですよ
無理にすることが良いことだとか、人にやってもらうのはどうかと思うだとか
そういうのはやめませんか。
あなたは羨ましいと思っているのかもしれませんね
嫌な事を人に頼んで自分はやらずに過ごしている人達が。
違いますか?
ではどうするのでしょう
まずは許しましょう
嫌な事を頑張ってやっている自分を
褒める事もできますが、許す方が良いでしょう
やりたくない事を半ば義務的に自分に強いた事実を
許すのです
そして
楽々とそれを乗り越えている周囲の他の人たちを
許すのです
あなたはやらない方もやる方も許せないでいます
それが痛みの原因です
ですから許すのです
やらずに過ごしている人たちと、無理強いしてやっている、やらせている自分を。
許すということはどういうことかというと
事実を目の前にして、動じないということです
あなたになんの影響も与えさせないとでも言えば良いのでしょうか
軽く、軽く
ああ、そうなんだ
そう言うやり方もあるねと
受け流すのです
その上で再び自分の意見に耳を傾けて
それにあった対応をするだけです
後日。
なんかまた別のんが出てきて答えに繋がった
何故痛みがあるのか
自分で知っていることを書き留めてみようと思う
私は仕事が嫌なのだ
今の仕事が自分のやるべきこととは違うと知っていながら、色々と理由をつけてズルズル続けている
一番の理由は何だろう
多分、仕事を辞めてやりたいこと、収入を得る方法などが何もわかっていないから。と言うのが一番の理由だと思う
では根本にある思い込みは何だろう
生活していくにはお金が必要で、そのお金は何らかの仕事をすることでしか得られない
そしてその仕事は、明日、来週、来月、こう言う事をしてお金をもらえるといった具合に
出費が実際にある以前にもたらされていないと、心配になる。
心配になるのは何故?
絶対にいきなり収入があるかどうか、分からないから
分からない!=知らない?
必要な時に必ず必要なものが与えられるのは私の性質の一つだと言う事を、信じられない状態
状態!= 信じられないと言うボタンを押し続けている
信じられないのは何故?
普通に考えて、そうじゃない方がおかしいから
必要な時に必要な金額が手に入ると知っている状態になりたい
その深い安心感、安らぎ、安堵感はどんなものだろう
そのボタンを押し続けると決めてみるのはどうだろう
必要なものを手元にあるお金で買ってみる
その時の当たり前感を味わってみる
それがどんな規模でも当てはまる「信じている状態」の基本と分かる
問題点
そのお金だって、元々は働いて得たもの
では、プレゼントしてもらった物を探してみよう
それが与えられた時、私はどんな気持ちで受け取った?
心苦しい感じだったと思う
その心苦しさが制限の正体
では手放しで嬉しさを感じられたプレゼントはなかったかよく考えてほしい
その時の気持ちを周り中に広げてみよう
自分の中まで染み込ませてみよう
そこから一歩を始めてみよう
。。。。。。セッションはここまで
手放しで喜べたプレゼントなんて、あったかなぁと考えた時なぜか海で拾った綺麗な石が浮かんだ
海と大地にプレゼントしてもらった石
素直に嬉しかった
素直に自分のものにできた
なぜ
自然のものだから
そう本当は全て自然に与えられるもの
自由に手元に置いていらなくなったらまた自然に返せば良いだけのもの
そんな風に全てを捉えてみるのはどうだろう