Δ5 知っている状態とは
自分でチャネリングができるようになりたいと思うに至る根本にあった、お金に関する疑問を投げてみました。お金があるか無いかが自分にとっての本当の問題では無い と言うのは分かっているのですが、それでもまだ全く満足出来ない状態なので「ここから抜け出したい」と思っています。
いざ、無制限の宇宙銀行へアクセス!!
と思って受け取ったメッセージは、意外なことに関する説明でした。
ではどうぞ。
金銭的な自由(漠然とした豊かさではなく)に制限を感じるのはなぜ
どうして好きなだけお金を使う事ができないの?
どうして大きな買い物を前にすると、私には無理だと思ってしまうの?
もうずっとそうだけど、それを一気に無くすことはできないの?
もうそう言う制限は嫌だ。
金銭的な自由とはなんでしょう
自由の一つの形に過ぎませんね
ではあなたは自由ではないのでしょうか
いくつかの方法においてのみ、自由なのでしょうか
いいえ、違います
あなたはあらゆる方法、表現において、限りなく自由です
ではどうして金銭を介する表現において、そのような制限を感じてしまうのでしょう
あなた自身が表現(実現、創造、物質化、いろんな言い方がありますが)の手段として、金銭のみを選択しているからなのです
金銭というのは、言ってみれば手段ですらありません。
手段という形のないエネルギーの通過状態がとる、ほんのひと時の「仮の姿」の一部に過ぎないのです。
例えば家を例に挙げてみましょう
あなたは家が欲しい
このような家に住みたい、そしてそれを自分の所有物として物質世界に表現したいと思っています
ではその本質の部分にある欲求をよく見てみましょう
その家に暮らすことであなたが感じるであろう、安らぎ、満足感、開放感
自分の所有物として或いは、財産としての家。
その家に抱いているイメージ、すなわち、財産というものに対してあなたが執着している、或いは期待している何らかの力。
安心感が一番近いでしょうか
ではあなたにとっての安心感とは、一体どういうものでしょうか
いざというときに雨風を凌げる安全な場所がいつもそばにあること
その為に、人生の大半を費やしてお金を工面しなくてはいけないという煩わしさからの解放
あなたが家から得られると思っている安心感とは、お金を工面するために意に反して自分の時間を費やさなくて良い状態のことを指しています
ここで注目して欲しいのが、「意に反して」という部分です
あなたは金銭を得る為には仕事をしなくてはならず、そしてその仕事の中では必ず何らかの「意に反する」行為を多くの時間を費やして行わなくてはならない。
という観念を根強く抱いています
金銭から自由になるには、その観念を外してしまえばいいのです
なぜ、そう思っているのでしょう
今までの経験があなたにそう思わせているという答えが返ってきます
ではその経験とは、何でしょう
今までお金を稼ぐためにしてきた仕事の中には、必ずそういう部分があったからです
ではどうしてそういう過去が存在しているのでしょう
それは今現在、たった今、この瞬間にあなたがそいういう観念をがっちりと自分の中で固定しているからです
過去も未来も今なのですよ
今この瞬間が全てを物語っているのです
ではあなたをその観念から自由にする方法をお伝えしましょう
実際には方法ではありません
なぜなら、方法とは何かを得る為に何かをするという「型通りのやり方」を凝縮したいわゆる「ノウハウ」のことだからです
何かをして何かを得る
という、この観念こそが「あなたを掴んで離さない観念」の正体です
何もしてはいけないのです
そう思い込んでいる自分にアプローチして、そう思わないように仕向ける
それはエゴの罠なのですから
答えはまさにシンプルで、呆れてしまうほど簡単です
その観念は自分のものではないと「知る」だけなのです
もっと分かりやすく言うと「知っている」状態で居続けるだけなのです
「どうすればそういられるのでしょう?」
と言うのはやはりエゴの罠です「どうにかする」では元の木阿弥、堂々巡りするだけだからです
「知っている状態とは、どんな気分でしょう」
これが私からあなたへの質問であり答えです
金銭的に自由だと知っているあなたは、どんな気分を感じているでしょう?
金銭的に自由な状態と、お金を沢山稼いでいる状態は同じことではありません
金銭的に自由な状態と、好きな事をして楽しい思いをするだけでお金が支払われる状態も同じことではありません
金銭的な自由とは、金銭が必要な時に金銭を自由に使える状態ということであり
それは「状態」なのです
その状態にはそこに至るまでの過程などないのです
「そうである」だけなのです
もっというとすれば
金銭的に自由な状態と素敵な家を手に入れる事の間には実際には何の繋がりもありません
素敵な家を手に入れていることとは、素敵な家を手に入れた状態にあり、あり続ける事を指します
その状態にあることと、お金でそれを買うことは、宇宙の本質的な視点から見れば、何の関係もないことです
あなたの限られた視点からでも分かるようにいうとすれば
素敵な家が自分の所有物として目の前に現れた時の気分と
自分のお金でそれを買う時の気分
本当に同じですか?
恐らく全く違うものでしょう
あなたのエゴにできる唯一のことは、その時の気分の違いをはっきりと認識することだけです
さて知っている状態とはどういうことかが知りたいのですね
それは、今この状態のことを指します
今、この文章を綴っているあなたは何も考えていません
(追記: これを読んでいるあなたは何も考えていません。というメッセージが送られてきました。以下の文章は私だけでなく読んでいるみなさんにも向けられています)
知るべき瞬間に、知るべきことを「知っている」状態なのです
今知った、前は知らなかった、ではありません
今この瞬間 知っています
状態であり、現在進行形であることが認識できましたか?
状態とは止まっていることではありません
動いているのです
まさに瞬間的に動いている、その動きそのもののことを指すのです
ですから「知っている」状態とは、「知って」「それ以降知っているままでいる」ことではありません
毎瞬 毎瞬 知る ということが連続して起きている
ということなのです
それはもう心臓の鼓動のように自動運転式に行われるので、あなたはそれに意識を向ける事があまりありません
「お金がなければ家が買えない、お金を稼ぐには仕事が必要だ、仕事は嫌なことを我慢する必要がある」
という観念を持ち続ける(そうなのだと思い込む)=そうだと知っている状態 です
「知っている状態」と「観念を持つ」ことはとても近いところにあると言えます
観念を持つことが「〜であることを知る」の自動操縦ボタンを押し続けるという仕事をしているからです
だからこそ意図してそれに気づき、もうそれはいらないと決める事が必要なのです。
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ここまで
私の波動とデルタの波動が大きくズレて留まる事が難しくなったので、ここでお終い。
ていうかこれ以上は知る必要もないという事らしい。
早い話が私は安心感を欲していて、それが「家を所有したい」という望みに取って代わられていて、しかもそれを実現するには「お金で買わなくてはならない」と言う観念を抱いている。
と言うことでしょうか。
安心感が無いと思っている→ 金銭的な自由に制限を感じる
じゃあ私は安心の中に浸りきっていると知れば・・・・
あらゆる疑問や悩みは、結局ここに行き着くようですね。
じゃあ
「私が安心感の中に浸っている事を知っている」スイッチを押し続けてくれる観念を持てば・・・
あ、そうか私の場合それは「家があれば」っていうやつだった。
観念て結局なんかの条件が付きまとうんですねぇ。
目覚めた状態でいるのが難しく感じるのはそこなのかぁ。
目覚めた私スイッチを押せるのは、自分の意思だけなのかも知れません。
究極に簡単な事なのに、すごく難しく感じるのは多分それが対極にあるからなのでしょう。