Δ11 ♡ 恋愛とは
なぜ私達は恋に落ちるの?
恋と愛とパートナーシップの意味は?
私はどうありたいの?
恋とは落ちるものであり、愛とは湧いて出てくるものです。
パートナーシップはごく近いところでの助け合いのようなものでしょうか。
恋に落ちたら、落ちるところまで行くしかありません。
途中で落ちるのをやめてしまっても、相手が変わろうが年月が経とうが、いつかは足を滑らせて尻餅をつくまで落っこちるしかないのです。
そこまで行ったらようやく目が覚めるでしょう。
そしてあたりを見回し、なぜ自分がそんな所にいて、なぜそんなに夢中になっていたかという事にようやく思考が動き始めます。
そこで色々とすったもんだする訳ですが、再び思考からハートへ意識が向いた時に湧き上がってくるのが愛と呼ばれるものです。
意識がハートへ行かない事もありますし、行っても何も湧き上がってこない場合もあります。
つまりはそこで恋が終わるか、愛が始まるかという別れ道が現れるのです。
中には何回も何回も恋に落ちて一向に愛が芽生えない人もいます
それとは逆に、恋に落ちた覚えは無いのにいつの間にか芽生えてしまった深い愛を持て余す人もいます
それをどう捉えるかは、全く本人の自由なのですが
大抵はそこに答えのようなものを求める様です
答えなどありません
自分で答えるだけです
どう捉えるかも自由です
なぜなら恋はスリル満点の遊園地の様なもので
愛は自分を満たす、お気に入りの芸術作品の様なものなのです
実際のところ、相手うんぬんはどうでも良いという事なのです
パートナーシップは恋だけでは成り立ちません
隣人愛の密度が濃いもの、と言ったら分かりやすいでしょうか
お互いがお互いを思いやり、支え合い、助け合う
それを個人的なレベルで深めてゆくのがパートナーシップと呼ばれるものに近いと言えるでしょう
答えが微妙に曖昧なのは、それがいわゆる言葉で表されているもので、その定義という形で質疑をしている状態だからです。
パートナーシップ、恋人関係、夫婦、何にせよ最終的には個人が自分で定義を形作ってゆき、それがその人それぞれの独自の意味を持ちうるものだからです。
絶対に必要なものという訳でもないですし、言ってみればスポーツに楽しみを見出したり、美味しい食べ物を食べ歩くのに夢中になったり、何らかの趣味に没頭したり、と言った類のものなのです。
ただ、人の場合は恋に落ちたり愛しあったりすることで、家族や子供が生まれるという二次的なまた違ったステップが現れるので大抵はある程度の年齢に達すると、一度は経験するように最初から仕組んであるという部分もあります。
でもそれに固執して、何らかの成果を生み出すのが人としての自然な姿だと無理やり自分を納得させる必要は全くないという事です。