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д27 パパジと人生設計
前回に引き続き、覚醒の炎 プンジャジの教えという本を読んでの記事です
パパジなんかすげぇ
というのが本を読みながら何度も思った感想です
しかもまだ読み終えてない、だって幸せな気分になってめっちゃ眠くなるんだもん
今までずっと疑問だったことへの答えを、こんなに深くそして明らかに得ることができたのは初めて
おそらく質問者達がかなり本気でギリギリな所まで考え詰めた挙句に、彼の元に教えを求めて来ているのも理由の一つでしょう
やはり質問者達が自己探究のほぼ最終段階にいる感じなので、いわゆる願望実現したい系の人向けの本とは、問答のレベルが全然違います
数千年前の哲学者達も当時こんな風だったんでしょうか
パパジはまるで、子供の頃の覚醒した状態を保ちながら成長した人のようです
ラマナ マハルシというお師匠さんがいたそうですが、本を読んでいると彼はもともと真我にある状態を知っていたみたいだし
悟りを得るために修行をしたり、苦行をしたりした周囲のグルを見て
「え、そんなことしなくても・・・これって本来普通の状態なんだよ。何もしなくていいんだってことを弟子たちに教えてあげなきゃ、逆に遠回りじゃん」
みたいな感じだったんじゃないでしょうか。
彼の言う事を真実だとすれば、真我と繋がることで全てのカルマが覚醒の炎によって焼き尽くされ、次に輪廻転生しないで済む。つまり、肉体を持って生きるという苦悩を、二度と味わわずに済む
解脱を経た真我はカルマを経験することがないまま、残りの人生を過ごすことになるそうです
一部抜粋
・・・・・・
けれども身体は過去生の関わりや執着によって決められた脚本に従って、地上での生を終えなければならない。
全ての顕著なカルマが身体に入り込むため、解脱した人は時折非常に病んだ身体で最後を迎えることになる。
・・・・・・
もはや心が動くことがないので、身体に何が起ころうと、人生でどんなことが起ころうと、記憶も現実も彼の中に欲望や嫌悪感を生み出さない・・・
らしいけど、側から見たら場合によっちゃハードモードな余生を送ることになるのね
自由でありたい(真我の状態でありたい)という欲望以外は、全て消えてしまう人生になるというのも、どうしたもんだろう
もともと私は「自分の望む通りに現実を創りたい」という業つくばりな思いから、こんな本を手に取ったりしたわけだし・・・kindleだけど・・・
パパジの言うことを元に考えたら、意図的な現実創造って結構なカルマになるじゃんね
しかも残り少ない今生で上手くいったとしても、来世には全部やり方とか忘れてるわけだし
私はできたら両方の良いとこどりをしたいのだけれど、そんなのってできるのかしらん
まあとりあえず、この身体を持ってしての生はすでに決められている脚本通りに進むみたいだから、それは無視できないわけで
じゃあその脚本をできるだけサラッと、いらん想念を持たずに、結果にも執着せずにでも楽しく豊かにこなして(苦しく貧しくこなす必要があるわけじゃないんだし)
常に自分が真我、つまり全てを映し出している湖そのものであることも忘れずに生きることって、できないのかな
まあ、そうしてる内に楽しく豊かに脚本をこなす部分への執着も取れちゃうだろうから、現実世界へのアプローチが勝手に変わってきそうだけど
でもそうなったらそれはそれでいいんじゃないかと。
そうか、一気にハードモードな余生に突入するんじゃなくて、まず楽しく豊かな現実創造と真我への回帰を同時進行で始めたら、いい感じで行けるとこまで行けるんじゃね?
ほんで上手くいけば、自然に欲望全部消滅して自由な死を迎えた後に来世なんかないフリーダムな状態に帰るんだろうし
そうじゃなくても、かなり幸せに充実した残りの人生を送ることになるはず
今生で作るカルマも、幸せや豊かさにまつわるカルマになるわけでしょ
おお、カルマ云々が本当かどうか、そして読みかけのパパジの本を元にこの先の身の振り方を決定して良いのか、なんて疑問は置いておくとしても
なんか自分が求めてきたものが結構明らかになってきたかも