見出し画像

Δ45−1 受け取っていいもの

しばらく更新していませんでしたが、特に生活に変わったことは起こっていません。家もまだ手に入ってないし、お金持ちでもありません。

ただ、自分の中が大きく変化しました。
「望むことを叶える」
という概念が、とても狭い範囲で捉えた「引き寄せの法則」だったことに気づいたのです。

宇宙の法則は単純に「意識を向けたものが引き寄せられてくる」というもの
それを人間の概念を元に「望む」とか「叶う」とか「欲する」とかいう言葉をくっつけて表現してるから、いまいち理解できてなかったんだなと思います。

この理解は20年近く「思った通りに自分の世界を作りたい」と考え続けてきた末の、この三ヶ月間で得ることができたのですが
腑に落ちた理由はとてもシンプルで、エイブラハムの本を読んでいたら「宇宙は望んだもののエッセンスを現実化する」と書いてあったからです。

単純に「家が欲しい」「安心が欲しい」「車が欲しい」などという願望と思っていたものの本質をきちんと捉えきれてなかったせいで、それらのエッセンスがすぐに目の前の現実にいくらでも現れていたにもかかわらず、そこへ目を向けていなかったのが「叶わない」理由だったのです。

(頭では分かったつもりでいたのですが、そのエッセンスというものがどんな風に自分の周りに集まってきているかが、見えていなかったのです。
私はもっと人間的な概念で理解しやすい状態で、願ったことの本質とやらが現れるのだと勝手に思い込んでいました。
でもそのエッセンスは、もっともっと微細でとりとめが無い程に小さな粒となって、常に私を取り囲んでいたのです。)

宇宙の法則を信じるならば
今このままの状態で、そこら中にある当たり前の素晴らしいことに「意識を向け続けていれば」当然それらは似たものを引き寄せることになります。(実際には引き寄せるというより、それらに気づき始める感じです。意識を向けたものが目に映り始めるので、引き寄せられているように感じますがそれらは最初からそこにあったのです)

今の私の世界では、「水をコップに入れて飲むくらい簡単に叶うこと」、「空気を吸うくらい当たり前のこと」と、「家が欲しいのに何していいかわかんない状態」や「車を買い替えたいけど一向にそんなものは現れてこない現実」という大きくかけ離れた「速攻願望実現できることと、どうやって実現していいか分からないこと」ばかりに意識を向けて生活をしている状態です。

今までどうやってこの世界を自分で創ってきたか、全く理解できてなかったせいで自然にできてることは「当たり前」と思ってるし、叶ってないことは「色々試してるけど、結局うまくいかない」と思っていました。

それがこの三ヶ月で、「あ、多分こういうことだ」とようやくまとまったのです。

分かりはしたものの、実行しようとするとあっという間に感情や目の前の現実、今までの思考の習慣に巻き込まれ、「あれ?やり方が分かったはずなのに、何だったっけ?どうやるんだっけ?」となってしまうことを繰り返すこと三ヶ月。

毎回バカみたいに自分で書いた文章や、エイブラハムの本を読むことで何度も何度も振り出しに戻りながら、自分の思考がどこを向いているのかに気づき、望む方向にむけなおし、その2分後にはまた何も達成できていないという思考になぎ倒され、また一から「いやいや、そうじゃない」私は望まないことに気を取られるのはもう沢山だ。

といった具合です。

実は私は1年前に仕事を辞めています。
周囲から見たら、毎日遊んで暮らしています。
大好きな猫と一緒に、気のむいたことを好きな時に、好きなだけやって
毎日のようにレストランで食事をご馳走になり、おしゃれをして、いろんなメイクを楽しんで、美しくあることに心を砕き
楽しいことだけをしています
働いていた時と大して変わらない収入もありながら、です。

それなのに、三ヶ月前までそのことに気づいていませんでした。

それどころか、何一つ前進しない自分の「願望実現能力」にため息をついてばかりいたのです。

好きなことをしながら、それと同時に、それらがお金を稼ぐ手段になっていないことに焦り

レストランで食事をするたびに、毎日仕事に行って働いているのに、こんな優雅な生活をしていない身近な友人たちのことを思い、罪悪感を感じ

いつも綺麗にメイクをしてお洒落を楽しみながらも、周囲からどう思われているかとふと思ってみたり

収入があるのはたまたま親からお金をもらったり、失業保険が入っているからと、理由を探して当てはめては、これは自分が想像していたような「お金の入り方じゃないから」願望実現とは違う、と焦っていました。

そしてあと三ヶ月で失業保険が入らなくなる、となった時にようやく「これは私が何か間違って理解してる」と気づきました。

デルタへの質問は常にしていますが、今までとはかなり違ったやり取りが始まりました。

大量にあったやり取りの記録を全部消して、今この瞬間のやり取りだけに集中するやり方に変えました。

まとまりのない文章になっているのは承知の上です。
でもどうやら私は、今の過渡期を記録に残す役割があるようなのです。

思考だと思っていたものと「本来の状態の思考」の間にいるので、いわゆるまとまった分かりやすい文章を書くことが少し難しくなってきています。

今にいることは、本当にこの一瞬一瞬に思考と寄り添って生きることなのです。
そして、次の瞬間にはもうそれを手放して、次の「今この瞬間」に、また新鮮な自分の感情を頼りに向きを変え、新たな思考と出会う感じです。

だから、頭の中で綺麗な文章にまとめる作業がなかなかできません。

次の記事に、この内容を導いてくれたΔとのやり取りを残しておきます。

現在形の「腑に落ちていってる」状態を伝えることが出来たら幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!