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「さみしさ」は神聖な感情

2023年の9月から約1年間の期間、伴走してくれていたコーチとの完了セッションが終わった。

はじまりのきっかけは、CTIの上級コースに申し込むにあたり、PCC(もしくはMCC)かつCPCCのコーチに伴走してもらう必要があったこと。CTIのコーチを探すページで条件を入れつつ探して、直感で体験セッションで申し込んだ。

そこから1年間、気づけば上級コースのための、みたいな文脈は頭から消えていて、人と人の本気の関わりにエネルギーをもらっていた1年間だった。

仕事のこと、親のこと、パートナーのこと、たくさんの話をしたけれど、この期間を通して一貫して気づいたことは、自分自身の奥底にあるシンプルな「つながり」への願い。

色々な問題を持ち込んでセッションに望むけど、結局のところ自分はつながりたい、仲良くなりたい、心からのコミュニケーションがとりたい。

人のことが怖いけど、大好きで大好きで仕方がない。人間関係に悩んでいるフリをしていても、実は構ってもらえなくて寂しかっただけ。人と繋がれる喜びを誰よりも知っている。

別れが寂しくて仕方がない。これまでのクライアントさんとの完了セッションも、ことごとく寂しがって、なかなかzoomを切れなかった。誰かと会って話して、解散のたびにすごく寂しくなるので、終わりとか解散が苦手。

そんな自分のことが好き。大変だなと思うこともあるけど、寂しいと思える、それだけ人を好きで、その人とのつながりに心を寄せられる自分のことが嫌いじゃない。

この寂しさは心地いいものではないけれど、自分の中の本当に大切なもの。コーチから「さみしさは神聖なもの」という言葉をもらった時に、ものすごく響くものがあった。

本当につながりたい自分は、本当に寂しがりたい自分なんだな。この寂しさを味わうために、俺はこの性格で、身体を選んで生まれてきたんだな。ああ、誰よりも寂しがりやで、1日が終わるのも、予定が終わってzoomを切るのも、解散するのも嫌な自分に生まれられてよかったな。

そんなことに気づくことができた1年間だった。そして、案の定めっちゃくちゃ寂しがりボロボロ泣きながら、完了セッションの1時間を終えた。

豊かなつながりと別れの寂しさを味わい尽くす

人生には出会いも別れも必然で、それを肯定的に捉える必要はない。なかったことにせず、つながりの豊かさと同じくらい、存分に寂しがっていきたい。

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