パノプティコンという言葉をご存知だろうか。この言葉はイギリスの経済学者ベンサムが設計した監獄を由来とし、フランスの経済学者ミシェル・フーコは監視社会という意味で転用している。 監視社会は現代において既に多くの事柄で利用されている。例えばインターネットや防犯カメラ、監視カメラ、近所同士の井戸端会議、学校、前回私が述べた自粛警察もそうである。これらの事柄は常に誰かの目に触れている環境を指し、危険な行為を抑制させる意味を持つ。また、我々はそのことを許容しており、治安が良くなればそ
自粛警察とは何か 簡単に言ってしまえば警察の真似事をする一般市民で、行政からの自粛要請という大義名分のもと自粛に応じていない人やお店を監視し警告する人達の総称である。今回の騒動では悪い部分が目立ってしまったが、相互監視というここでいう「警察」の観念は日本にいれば何度も経験していることであり、一概に悪いとは言えない。 学校で例えるならば集団登校、勉強や受験(両親、学生同士の監視)、制服の身嗜みなど規則事項(学生、教師の監視)、児童の夜間出歩き(警察、近隣住民)などがある。これ
AI(人工知能)がどこまで発展しているかご存知でしょうか。初期といえば1960年代でコンピュータが高速処理を行えるようになった。次に1980年代で与えられた知識を基に独自に推論できるようなった。そして現在はAI自身による自己学習を行う段階まできている。 それを可能にし向上させたディープラーニングとは、人や動物の脳細胞の働きを基準に開発されたニューラルネットワークを多層化したものである。 例を挙げるならば囲碁で有名になったアルファ碁だ。アルファ碁は2016年に世界トップの棋
表現の自由とは人が人として保障される権利の1つである。ただしそれはあくまで法律によって決められた自由なので、法律に従うことを条件に行使できるものであり、知らなければ行使すべきではない。他の権利もそうだがそれを行使する時に内容を知らなければ法を犯す可能性がある。 そう考えると法律の重要性が分かるだろう。本来なら全ての国民が知らなければならないものなのだ。しかし、それは不可能だろう。私もそうだが全てを理解するにはあまりにも数が多すぎる。専門家でさえ全てを覚えられないのに国民全体
前に私のコラムで日本が少子高齢化による人口減少の一途をたどる要因を戦後からのデータを出発点とする分析である程度つまびらかにできたかと思う。 結論は人口には経済状況(景気)が大きく関わっており、高度成長期とバブル景気に日本の人口はうなぎのぼりになっている。 しかし、興味深いのが人口を考えるうえで最も重要なデータである出生率(女性一人あたりに産む子供の人数)を見てみると景気が上向きだった時期でも戦後から総じて減少傾向にあるのだ。 つまり長期的な目で人口を見る場合に重要な出生
1965年に結ばれた日韓条約には韓国政府が外交保護権の放棄を認めた。しかしそれはあくまで政府が放棄したものである。自国の国民が受けた被害、個人の損害を外交権を使って政府が抗議しないということだ。韓国政府が追求することを国際法上認められていないだけであり、個人の請求権は放棄されていない(明記されていない)。それが事実である。 であるから韓国国民が訴えることは間違ったことではない。だがここで疑問に思うべきことはなぜ今さらその問題が浮上したかだ。 その理由としては日本が矛盾した
何によって立つか 「この世に全知全能の神はいるか。」という問いに人はそれぞれが思うがままに答えるだろう。では、全知全能の人はいるだろうか。これは私の知る限りいない。全知など人間が個人の力で到達できるとはまったく思わない。科学の力を使えば可能かもしれないが。 Googleは何でも知っているという人がいる。Wikipediaは何でも知っているという人がいる。両方とも本当にそうだろうか。あれらに知っているという言葉はふさわしくない。なぜなら意思がないからだ。 あれらが提示してい
ぺティ・クラークの法則を皆様知っているだろうか。この法則の名前は二人の経済学者の名前が入っている。一人は「Boys Be Ambitious」という言葉で有名なウィリアム・スミス・クラークである。 ぺティ・クラークの法則によると国の経済発展に伴い、就業者が第1次産業から第2次産業、第3次産業へと移る「産業の高度化」が進むとされている。 日本でもこの法則は証明されている。1985年第1次産業従事者が509万人、第2次産業従事者は1992万人いた。しかし、2015年22
前回私のコラムではポピュリズム、ポピュリストの台頭を自分なりに分析をさせてもらった。その分析結果はポピュリズムの台頭を許したのは政治的な事柄に無関心を示すようになった大衆であり、そのような大衆に効果的に訴えかけ支持を集めるためにポピュリストが現れると考えた。 ポピュリストは政治家が目的を達成するための道筋をただ合理的に思考し判断した一種の形であるとし、非難を浴びるべき対象をポピュリストから逆の大衆側へと誘導する結果となった。 そして、ポピュリストは将来独裁者という恐ろしい
過去の常識は時代の中で歪みを生む 議会制民主主義が世界中で主流となっている。 各地に議会があり立法府という顔を持つ。 日本のような間接民主制国家はよく行政と立法が密接すぎると行政学の分野で問題視されることも多い。 議会政治とは多くの問題を孕んでいる。 私は政治において万能な体制などはないと考えている。その時はいいものでも時間と共に問題が発生し徐々に疑われていく。それはいつしか歪みとなり糾弾され変化する。 人類はこの反省の連続で成長してきた。 これに関して問題を挙
近年ポピュリズムないしポピュリストという言葉をよく耳にする気がする。 日本語では平民主義、大衆主義や反エリート主義と訳され、労働者側の人々を構成員とする一般大衆の利益や権利を守ると掲げ支持を獲得し、既存の体制や知識人などを批判する政治「思想」-①のことである。 前述のありのままの言葉の意味だけをくみ取ればポピュリストは弱者の代弁者として強大な権力に立ち向かう正義の味方のような印象を受ける かもしれない。しかしこの言葉には近年もう一つの意味合いが加えられ幅広い領域を示すよう
現代史の始まり 1989年は私の中で現代史の始まりの年である。 1991年と悩むところであるが、ソ連が崩壊して新しい世界勢力図ができることよりも冷戦という構図が終わりソ連が崩壊へのラストランを始め、ベルリンの壁が崩壊してドイツが再統一。中国が経済成長を始める兆しが見え始める年である1989年こそ現代史の始まりだと見ている。 現在の現代史は範囲が広くそろそろ教科書を書き直さないといけない時期にあると私は考える。戦中・戦後というものの時代を再検討するべき時代が来ているのだ。
かつて日本人は「熱狂」していた 社会主義への思索というもの自体はきっとトマス・モアが「ユートピア」を書くより前に始まっていたのだろうか。 きっと「平等」や格差の是正こそが万人のためになる。誰も苦しまない社会を目指したい。 「私の考える、社会主義を目指した人たちは良くも悪くも理想主義者で平和を求めながら暴力に訴えようとする不思議な人間たちである。」 1960年の安保闘争、ここ数年私はこの時代を知る人たちに会う機会を複数得た。 私にとって安保闘争は体験できない過去のもの