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2020年10月の記事一覧
酒池肉林(ギャンブル依存症と私 その7)
金銭感覚のズレは一瞬で起きるが、これを治す為に人生の大半を費やすこともある。
ギャンブルに依存した人たちは、ちょっとしたことがきっかけでコントロールを失い、たいてい金銭問題を引き起こす。
依存症ギャンブラーにとって、依存するのは瞬間という場合が多い。つまり、何かがきっかけで依存のトリガーが引かれるということである。
トリガーとはビギナーズラックであったり、逆に悔しい負けであったりすることが多
レート(ギャンブル依存症と私 その6)
「断ギャンブルのために趣味を持ちなさい」とは言うが、先に持つべきは友人であり交友だ。趣味の殆どは誘われた結果、始めるものだから。
この言葉は、ボクがSAGSのメンバーさんたちに書いているメルマガの一節である。本当のところ、人は殆どの趣味や娯楽を他人から教わる。それは何も良いことばかりでは無い。悪いことだって同じだ。
だが大人なら、自分がやったらどうなるか分かっていれば、例え誘われてもやらないの
営業職とマージャン(ギャンブル依存症と私 その5)
みんなでやれば怖くない
そう思っているうちに、全員が地獄に落ちているのはよくあることだ。例えば、昨今の違法賭博などがそういった類だろう。
内輪の賭け麻雀や高校野球のトトカルチョなど、これまで大丈夫だとされてきたことが、時代と共にNGになってしまうのだ。
体罰やハラスメント、未成年の飲酒などもそうだ。昨今の風潮がとにかく厳しくなり、それと共に昔の「基準」が甘くなってしまったのである。
そうい
社会人になって(ギャンブル依存症と私~その4)
劣等感を持っている人物ほど、他人に対する評価が厳しく自分に対しては甘い。そして、心の傷を隠すために自分を大きく見せようとする。
プライドが高く、自分以外は信用しない。そういった高慢ちきの裏に劣等感が隠れていることが殆どだ。青年期のボクが全くその通りだった。
社会人になって今日から、ボクが社会人になってからのことを書こうと思う。とにかくこうして、クソ生意気で鼻持ちならぬ若造は娑婆に出ることになっ
大いなる過ち(ギャンブル依存症と私 その3)
今日は少し、ボクの幼少期のことを書いてみたい。正直なところ、ボクのような人間がなぜ誕生したのかという素朴な疑問が今もあるのだ。
生きている限り、全ての人が仏のような人生を送っているわけではない。そんなことは百も承知である。ただ、幼年期に「何か」を踏み外すと、後々大きな失敗を繰り返すことだけは、これまで生きてきて痛感する。
ボクの場合、その踏み外しが「何」だったのだろうか。
孤独の原因間違いな
パチプロごっこ(ギャンブル依存症と私 その2)
もし、今ここに来られたあなたが、「勝っているのなら、ギャンブル依存症は問題にならない」などと考えているのなら、それは大きな間違いだ。
そもそもバクチに勝ち負けなど存在しない。なぜならバクチが遊びの一種であり、その利益が主催者側にのみ発生する仕組みになっているからである。
かつてのボクのようにたまたまの勝ちが続くと、「俺は負けない」などと錯覚する人が居るが、それも大きな間違いだ。確かにプロという
ギャンブル依存症と私 (その1 パチ屋との出会い)
前回書いた「ニトロペン」について、「好きならば、パチ屋の中で死ぬのは本望なのでは?」というコメントをTwitterで頂戴いたしました。まあ確かに、そう思われる方も多いとは思いますが、やはりあそこで死ぬのは恥だと考えていましたね。
「息子がパチ屋で死んだなんて知れたら、父と母が世間の人たちからどんな目で見られるだろう…」って感じですかね。依存していても、少しばかりの世間体は残っていたんです。
さ
ニトロペン(その2)
まっぴらごめんだ! パチ屋で倒れたあのとき、ボクはもうろうとする意識の中で確かにこう思っていた。「ここで死ぬのは嫌だ まっぴらごめんだ」と。
担架で救急車の中に運ばれると、真っ先に血圧を測られた。「こりゃひどいね」と隊員が顔をしかめた。後で聞けば、上が240くらいあったらしい。
ところがボクは病院のベッドの上で安定剤を注射されて落ち着くと、医師の制止を振り切って病院を後にしたのだ。そしてパチ屋
「諦める」は コントロールできる感情
私の場合、パチ・スロをしている夢を見るというだけではない。夢の中でだんだんと自分が断パチ・スロしていることを思い出し始め、「どうやって隠そうか…」などと考えていることが多い。
情けない話だが、これは堕落であり自責の念に駆られてしまう。だから私は今でも、スリップしてしまった仲間の気持ちが痛いほどよく分かるのである。
依存に対しては「一生やめ続ける」しか方法がないSAGSを離れていく時に、「もう自
ギャンブルやめるマインドセットはあるのか?
さて今日はまず、ここに居られるあなたに一言お聞きしたい。「ギャンブルを断っているという状況は、精神的にいうとどういう状態ですか?」きっと答えは様々だろう。
中には、「ギャンブル自体、忘れてしまった」という強者も居られるだろうし、「日々が我慢です」と仰る方も居られるに違いない。だがどういったマインドをお持ちであれ、断日数を重ねている方は間違いなく、「やめ続けている」わけである。
不可能なマインド