こちらの本の感想になります。 印象深いのは、12章 一〇日間の涙 の中での、患者本人がもうその時が来たと訴えても医療側になかなか認めてもらえない場面。 読後「耐え難い苦痛」について考えてしまう。 安楽死が認められないわが国においても、継続的に医者にかかっていていよいよ、そして苦痛極まり断末魔、というレベルになれば持続的深い鎮静という手段があるらしい。 だけどそれをやってもらえるのは、主治医をはじめその病院のキーパーソンから「これは耐え難い苦痛である」とお墨付きを貰えた
特定の宗教を信仰していない。と自分では思っている。 人は死んだら終わりであり死後の世界などないだろうと思っている。 だから自分が死んだら葬式も戒名もお墓も何も必要ない、というか生きている人たちのやりたいように勝手にやってもらえたらいいと思っている。 宗教とは今を生きている人たちが抱えている苦しみを和らげるためのツールであって、今の私は特にすがる必要なく生きていけていると思っている。 しかし自分が死んだら魂も何も残らないと思っているそのままの頭で、先日亡くなった祖母がきっ
学校は3月からずっと休校、新一年生はまだ学校で何にも習ってはいない。 にもかかわらず、週一回の登校日のたびに多種多様な宿題を頂いて帰ってくる。 ひらがなプリント 算数ワーク 画用紙に絵を描きましょう 家でねんどをこねましょう 動画を見て校歌を覚えましょう 家で体操をしましょう 朝顔を育てましょう、観察して絵を描きましょう 他にも様々な宿題が課されている。 おまけに、参考までにという名目で自宅でこなす一日の時間割まで作られている。 もちろん休校だからと全くほったらかし
今日私のばーちゃんが死んだ。 書ききるには数日かかるだろうが書き始めたのが命日その日ということでどうぞよろしくお願いします。 私40代、ばーちゃん90代。私が2歳ころから12歳まで同居していた。実質的な身の回りの世話をしてくれた人なので、母親よりも私にとってはお母さん的存在だ。早世した実の母と違い順序を守り、急な事故や大病でもなく、ただただ年とともに身体機能が衰えていった結果の死、大往生、立派であった。 新型コロナで世の中が大変な状況になってきた3月に心不全で入院し、い