医学界の誤り
まずはじめに医療に関わる人よりも数学者や哲学者の方が偉いということです。
今回は病院の話になってしまいますがそのあたりはご了承願います。
昔は先生が偉かったというのは今では逆になってしまいましたw
偉いより大切なことは丈夫であることなのですが...
先生のことを自己中だとか人格者だとかいうのが今の世間一般の常識になってきたことですね。
例えばある患者さんが医者の元を訪ねてきた時に原因がわかるような症状、例えば仮病は体の問題ではなく本人の問題でしょう。
それとは逆に原因がわからないような症状、例えば癌だと診断された時、普通は原因があって結果があるというのが常識でしたが。
(原因が分からないような症状に結果があるのだと勘違いしてしまい。)=a
施術が遅れてしまうということがあるかもしれない。
私はaに医学界の誤りが思います。
普通自分自身のことについてはわかっていようがいまいが。
人間の体というのは自然の一部ですから毛の生えてくる位置は自分では決めれない。
現代では人間の生ばかりに光をあて死というものをを切り離して考えているように思います。
それが現代医学の問題点でもあると思います。
死ねないところが病院なら生の解明もクソもないわけで。
そもそも死ってなんなんでしょう?
死は存在しないのでしょうか?
ただ一つ確かなのは死は自分のものではないということ。
生老病死が自然の摂理だったとしたら私たちは自然の一部だということになります。
自然の一部であるわたしたちをどうして都会にいさせておく必要があるんでしょう。
そうゆう環境にあっている人はいいと思うんですけど。
合わない人っていうのが出てくるわけで。
2つの人間に分けているのは明らかに脳だ実際に感覚が外から入ってきて出力として外に出していく。
そして意識というわけのわからないものが私たちの行動、発言、思考を決めているのかもしれない。
逆に環境が私たちの行動、発言、思考を決めているのかもしれない。
選択の科学ではaからbに移るのかaからcに移るのかbからcに移るのかf(x)からf(x+Δx)移るのか?
自分を重んじるかそれとも環境を重んじるかそれとも相互作用かそれとも...という次の選択が出てくる。
人間の世界は大きく分けて2つあると思っていまして。
一つは意識の世界と、あともう一つは自然の世界。
意識の世界の中にも2つの世界があり、一つは概念の世界と、あともう一つは感覚の世界がある。
そしてこれらの2つの世界は互いに相互作用し合っている。この社会にはルールがある例えば歩きスマホはしてはいけないとか。
している人がいたらちょっと危ないですねw
例えば世界を変えている人ってルールを破っている人なんじゃないかなぁと思うんですね。
好きなことを仕事にして世界を変えるいいことだったら私はルールは破ってもいいんじゃないかなぁと思うんですね。
思い立ったらすぐ行動する、それが記憶になる。