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【僕の夏休みと現在地、僕を構成している愛すべきDNAについて】




「あの吉田松陰や勝海舟のお師匠様でもある佐久間象山が、どんな場所で生まれてどのように育ち、何を想い、どう生きていたのかを知りたい。」






そんな思いに駆られ、帰省もできないご時世、せめて現在住んでいる長野県と自分の出身である京都府に縁ある佐久間象山を探究しようと、誰にも会わない外食をしないを徹底した上で、長野県を一人車で旅した夏休み。(ヘッダーの写真は一人旅とは別に、少し前にリトリートで訪れた白馬村にて撮影。)





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(写真は長野市松代町にある象山神社)




佐久間象山探究の道中、幕末に開校したとされる松代藩の藩校 "文武学校" を訪問し、この時代この場所の、学び舎の在り方やそれをつくるに至った経緯、そこに "象山先生" が及ぼした影響などを学び肌で感じているちょうどその時に、認定NPO法人TeachForJapanから派遣されて奈良で教師をしていた際の教え子から久しぶりに「木村先生!!」と連絡があり、(実体は伴わなくとも)自分が既に誰かにとっての先生であったのだと再認識させられた。





LINEでのやり取りの中で、本人が今頑張っている事、これからの進路選択など、自分の現在地について沢山教えてくれた。自分の記憶の中では3年生のままで止まっていた現在中学3年生になった"あの子"とそんなやり取りをしながら、自分の人生に"教え子" という存在がいてくれる事の豊かさと、おまけに日本語の難しさをかみしめた僕の夏休み。

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さて、相変わらず、久しぶりに(オフライン・オンラインで)再会する方々から「結局今は何をやっているの?」と質問をいただく事が多いのでこの記事を活用してさらっと言及しておくと、現在は軸足を軽井沢風越学園に置いて、5年ぶりに"先生"(風越学園ではスタッフと呼ぶ)を謳歌している。






5年ぶりに学校という場所に戻り、あっという間に過ぎていった4ヶ月間。一言で振り返ってみると、

「"民間企業" "ベンチャー" "おとなの変容に関わる" というようなキーワードにアンテナを立て、企業に軸足を置いて働いていたここ数年の自分から、大きくチューニングを迫られた、失敗ばかり・反省ばかりの時間だったな」

という感想。





"チューニング" という表現を使ったが、学校という場所に軸足を置いた現在でも企業や別の法人などを通して、また個人として、諸々のお仕事にも関わらせていただいることを考えると( 僕はきっとこれから先もそんな風に"跨ぎながら"働いていくと思うので )、"合わせたいチャンネルが一つ増えた"という感覚の方が正しいかもしれない。





学校という場所で日々関わる子ども達にとっての "より良い伴走者"としての在り方や関わり方、必要なスキルを探究し、合わせたいチャンネルへの精度を上げていく為に、改めて知識のインプットや、学び直しがしたい。

そんな事を考え、少しずつ動いている、そんな僕の夏休み。(勿論「こうしよう」と目標を立てる事と、それができる事は全くの別物だし、ここにどっぷり浸かるのであれば、1年や2年でどうにかなるものではないと自覚はした上で。)





夏休み自体を振り返ってみると、前半には、新潟県立六日町高校へお邪魔して秋以降の本格的な総合的な探究の時間に向けての講演会をする機会や、Project Adventure Japanからお声がけいただきコロナの影響もあって横の繋がりをつくる機会が少ない中学生に対して2日間の経験学習を通した学びの場のファシリテーションを実施する機会もいただいた。

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夏休みの中盤には、

答えがない時代、教育の転換期と言われている今、これからの時代を生きていく子どもたちに関わっている「Educator」から、単なる方法論ではなく、その方の在り方や教育観・哲学を学べる機会をつくり、参加者の教育観醸成や教育実践考案の一助とし、長期的に自走していける教育者の育成に貢献したい。

そんな想いから2年程前にスタートさせた「#エデュシーク」のオンライン版を企画・運営・実施し、2日間で総勢250名程の教育に興味ある皆様と一緒に学ばせていただいた。(写真2枚目「#エデュシーク for student」については文科省の友人の力も借りながら、大学生学生スタッフの皆さんが企画・運営をしてくれた。すごい。)

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そして毎日のように、コーチェットでの業務個人の活動を通して、経営者や組織リーダーの方々、ビジネスを通してビジョンを追いかけている方々、教育関係者の方々へコーチングや伴走支援を行わせていただいている。






ここまでで「結局今は何をやっているの?」という質問にしれっと大方答えた上で、改めて自分の活動を振り返り俯瞰してみると、"現在"は、幼児・小学生・中学生・高校生・大学生・社会人と、本当に幅広い年齢・発達段階・職種・肩書きの方々と仕事を通して関わらせていただいている事になる。






もちろん関わる方々の年齢や肩書き、その方々に関わる目的、関わる方々が置かれている状況によって、用いる手段(アプローチの方法)はそれぞれ異なるのだが、特に最近どの機会においても、

関わる目の前のその一人や集団にとってのより良い変容を考えた際の、自身のアセスメントスタイルやそれに基づくアプローチには、間違いなくこれまで自分が所属してきた組織や団体、そこで出会ってきた方々から学びいただいてきたDNAが全て混在しているのだな。

と感じる事が非常に多い。







先日の新潟県立六日町高校での講演やProject Adventure Japanでのファシリテーションでも度々それを感じたし、コーチングや伴走支援などを通して誰かの伴走をさせていただいている瞬間にも日々感じているし、風越学園に来てからのこの4ヶ月間の中での子どもたちやスタッフとの関わりの中でも、それを強く感じる機会が幾度となくある。







その度に、確かに自分の中に存在する、これまで所属し活動してきた組織やそこで出会ってきた方々、そこで得た知識や経験から受け継いできたDNAを改めて愛しく想うのだが、一方でそんなDNAに依存し、現在の文脈に(意識的・無意識的に)無理やり当てはめ、目の前の誰かに押し付けようとしている瞬間の自分にはつくづく嫌気が差す。






過去にも一度、"自分のストーリーを手放す" という、願望を込めたnoteを書いたのだけれど、この機会に改めて自分の現在地を振り返ってみて、自分が生きてきた人生の中で培ってきたそれらを手放すのはやはりそんなに簡単な事ではないのだと、新しい環境・働き方で過ごしていた4ヶ月間を振り返り、しみじみと感じている。







そもそもDNAと表現していて、これまで所属し活動してきた組織やそこで出会ってきた方々、そこで得た知識や経験が既に自分の一部となっていると捉えている以上、"これらを完全に "手放す" 事などはできず、愛すべきそんなDNAは、自分の中に大切にしまっておくという感覚が正しいのかもしれない。






なぜ今、"ここ・これら" に関わっているか」という仕事に対する想いの部分には全く触れないnoteになってしまったが、改めて、幼児・小学生・中学生・高校生・大学生・社会人と、本当に幅広い年齢・発達段階・職種・肩書きの方々と仕事を通して関わらせていただいている中で、

時に邪魔だとも感じる自分の愛すべきDNAは、自分の中に大切にしまいつつ、 関わる目の前のその一人にとっての最善のアプローチを "今ここから" 考え、言動に移せる自分で在りたい

そんなふうに願いながら、もうすぐ始まる "学校" での子どもたちとの二学期に向けて、自分のペースで学んでいる、それが僕の現在地。





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(写真は象山記念館の職員の方におすすめいただき象山神社で購入した書籍)





長野県松代町にて、自分が大好きだった漫画『お〜い!竜馬』ぶりに "出会い直した" 佐久間象山。彼は、蘭学研究の動機でもあった砲術を中心に兵学の研究に力を入れていた時期があり、嘉永元年(1848年)には幕府の命令でオランダ人ベウセルの原書を読み込んで大砲を鋳造したとか。しかし、松代郊外での最初の試演は、大失敗に終わったらしい。





周りから失敗を大笑いされた際に彼が平然と言ったとされているシンプルで的を得た一言に、気がつけば30代になり気がつけば長野県にて先生に戻っていた自分の今後の人生の指標となるのかもしれない、そしてそれは案外20代と何も変わらない在り方なのかもしれないなと勇気をいただいた、そんな僕の夏休み。






失敗するから成功がある







2021年8月21日 木村彰宏

















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