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20250120 乱読のセレンディピティ 外山滋比古

文字・活字文化振興法

良書を強制的に教え込むのに熱心なあまり、良書ぎらい、悪書すきを育てる結果になって自らの活力を弱め、悪書の量的支配を許してしまったことには気づかない
本は読み捨てでかまわない
一旦知識信仰にはいってしまうと、生活を復元することは容易ではない。
生きる力に結びつかなくてはいけない

何度も読み返す速度が遅すぎるらしい。速くすると、それだけでわかることがあるのがおもしろい。

物語や文学作品は、アルファ読みからベータ―読みへ移る橋がかりのような役を果たして便利なのである

あるとき、どうしてバラバラにはなれた単語が、センテンスになると、切れ目のない意味になるのか?

本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。

やがて、本によって解決する問題はないことが分かる
留学した人たちは、セレンディピティをおこしたかとろいうと、ほとんどないように思われる。知識だけはたっぷり身に付けるが、難しい問題を自力で考える力は失ってしまうことが多いのではないか。

企画はなにか発見を含んでいないといけない

違ったことばであることが痛いほどわかる。もし、論理だけが同じだったら、それこそおかしい。日本語には日本語の論理がある。なければならないということに気付いたのは

聴く知性のあること
学校をでてはじめて勤めたところが面白くない。これでは自分がダメになってしまうと悩んでいる
刺激の多い、多忙な生活をしていると、自然の忘却のはたらきだけでは忘却できないことが残る、それが鬱積すると頭の働きが悪くなり、重苦しい気分になったりする。倦怠を覚え、疲労がたまり、意欲も減退する

#乱読のセレンディピティ
#外山滋比古

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