誰のものでもない空間
私の職場は、ハノイの一画のビルにある。同じ階には、まだテナントの入っていない区画があり、コンクリートが剥き出しの床が、その空間を他のオフィスや廊下から隔てていた。職場を出てすぐ隣の区画であり、立ち入りを禁止するような鎖も立札もないから、一息つきたいときには、その窓際でハノイの空を眺めていた。
職場という、自分の役目を果たさなければ、いることが許されない場所のすぐ隣の、まだ誰のものにもなっていない、自身の存在意義や価値というものを示さなくてもいることができる場所。そんな空間として、私はその一画に憩を求めていたのだと思う。「思う」と書いたのは、その場にいたときには、それを実感していた訳ではないからだ。ただ、なんとなく、一時の避難所として足を運んでいた。
無意識下にあった、「ただいることを許される空間」という考えが頭をもたげたのは、その区画の工事が始まったからだ。いつものように職場に着くと、隣の一画から、男たちが作業をする音が聞こえる。鳴り止まない金属音と共に、コンクリートの床と廊下との間に簡易な仕切りができていき、自由に足を踏み入れられたその場所は、施錠され、閉ざされた空間となった。内側からの騒音が、役目や価値を持たずともただいることができた自由な空間を、価値を示し、対価を払わなければ存在を許されない空間に解体していく。オフィスになるのか、カフェやレストランになるのかはわからないけれど、そこは近いうちに、スタッフや客という肩書きを持たなければ入れない場所になるのだろう。
都会の真ん中に、誰のものにもなっていない、誰もが足を踏み入れることが可能な区画があることの安らかさに、その場が消え去ることではじめて気づいた。
この空間が閉ざされたことで、思い出したことがある。小学生の頃、友人の住んでいるマンションに行くと、彼は手に一つの鍵を持っていた。自宅の鍵ではない。同じマンションの空き部屋の鍵を、どういう経緯でか見つけたらしい。その鍵で入居者のいない部屋のドアを開け、家具も何もない空間を仲の良かった数人で占領した。親の許可も、閉館時間もなく、いたいだけいられる場所を手にして、毎日のように通っていた。そんな放課後が数週間は続いたと思うが、新たな入居者があったのか、空き部屋に入り浸っていることが知られたのか、しばらくするとそこに行くこともなくなっていた。
テナントのない区画での憩も、マンションの空き部屋での記憶も、誰のものでもない空間に(もちろん場所の権利はビルやマンションの所有者にあるのだろうが)、なんの肩書きも持たないままで、ただいることができる安らかさを象徴するものなのだろう。
思えば、役割を果たさないままで、対価を支払わないままで、この社会のどこかにい続けることは許されないのかもしれない。職場では、成果を上げることが求められるし、カフェやレストランで席に着けるのは、店に対価を支払う。
子供の頃、今よりももっと多くの浮浪者がいたように思う。近所の公園のベンチでも、多摩川の河川敷でも、段ボールや新聞紙に身を包んだ人を見た。かつて浮浪者の寝ていた公園のベンチは、今はその座面に取ってつけたような手すりがあったり、座面自体が傾斜になっていたりと身を横たえること自体ができない作りになっている。社会に対して、役割を示せず、コンクリートジャングルの中に、身を休める一部屋を確保できなくなったとき、私はどこに行けばいいのだろう。公園のベンチに、取ってつけたような肘掛けがなかったら、自然にしていても滑り落ちることのない作りだったら、ただいることを許してくれるならば、職を手放すことももう少し自由にできるのにと。
誰のものでもないからこそ、誰もが存在を許される場所。価値がなくてもいることができる場所。実際に使うことがなかったとしても、そういう場所があることでどれだけ心身が軽くなるだろう。
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