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【生い立ち③】親父との充実した小学校生活

皆さん、こんにちは!

突然ですが一人飲みする時はどこで飲みますか?

私は最近、昼間からサイゼリアで一人呑みするすることにバカはまってます。
ぜひサイゼでビールとポップコーンシュリンプと旨辛チキンを頼んでお楽しみください。

(そもそも投稿が遅くなってしまい、ごめんなさい)

さて今日は小学校時代のお話ししようかと思います。

前回の内容がクセ強すぎたので、今回はあまり面白くないと思われるか内心心配です、、、

では続きをどうぞ!



何がともあれ小学校1年生の冬に日本に帰国したのだけれど、それは親父との二人暮らしが始まることを意味していた。
小学1年生(7歳)から修士2年(25歳)まで、実に18年間の2人暮らしの始まりである。

帰国直後の自分

今振り返ってみればはっきりしたこと覚えていないが、充実した小学校生活であったことは間違いない。
と同時に最初は不思議な学校生活を送っていた。

フィリピンに2年弱もいれば日本語をすっかり忘れてしまい、帰国直後は英語とタカログ語(フィリピン語)しか話せない自分がいた。
もちろん生活スタイルもフィリピンの貧困層のままだった。

余談だが、あるとき友人の家に行くことになったのだけれどその時に飲み物が欲しくなった。
だけど日本語はわからないし英語しか話せなかったし、何よりフィリピン生活スタイルが抜けきれなかったから「勝手に冷蔵庫開けて飲めばいいや」と思い、開けた。

そしたら何を言っているのかわからなかったが友人のお母さんがかなり激昂していることは顔から推測ができた。

後で親父から英語で説明され日本では人の冷蔵庫を勝手に開けてはいけないことを知った。

そんな感じで「ザ・フィリピン人」の自分がいきなり日本の学校に放り込まれてもついていける訳がないって判断されたことから、週3、4日くらいはクラスメイトと離れて日本語の授業を受けていた。

でも不思議だったのが普段クラスメイトと離れて個別授業を受けているので、あまり接点持たないのに、授業が終わって教室に戻るとみんなが出迎えてくれていた。
他の人とは違うという興味本位だったかも知れないが、最低限「いじめられている」ということは一切なかった。

というかその保護者までもが自分を温かく見守ってくれた気がする。
(今も自分や自分の親父がいないコミュニティーのところで「ひかる」がトークテーマとして話すことがたまにあるらしいことを知人伝えに聞いている。)

とりあえず日本の学校は特に問題がなく充実しており、それは家庭でも同じだった。

自分と親父

親父は自分が寂しい想いをしないように必死だった。

寂しい想いをしないようにわざわざお弁当を作ってくれた。(小学校時代にコンビニ弁当で済ましたことは一度もない)

風邪で遠足に行けなくなった時でも寂しい想いをしないように後日、わざわざ休診して2人で同じ遠足地に行ったこともあった。

何か学校の行事があれば必ず休み、カメラやビデオを構えている親父の姿があった。

自分が悪いことをして相手を傷つけてしまった時には一緒に頭を下げてくれた。

何より私が鉄道好きであったことからよく2人で旅行にも行きまくっていた。(歴史や地理が好きなきっかけはこの時の出来事からかも知れない)

本当に愛されていたんだなと今書きながら(恥ずかしく感じながら)振り返っているが、同時にちょっと重たく受け止めてしまい負担に感じることがあった。

小4になると中学受験に向けた勉強が始まった。

毎日勉強時間に割いていたがなかなか成績が上がらなかった。
日本語がまだ完璧ではないということもあったが、今振り返ると「何のため」に勉強しているのか分からなかった。
つまりやらされていた勉強であって自分から「勉強したい」「受験したい」っていう想いは1ミリもなかったのだ。
てかそもそも受験とはなんぞやが分かっていない。

でも唯一のモチベーションになっていたのが「中学受験したら高校受験する必要がなくなる(勉強しなくてもいい)」という唆しであった。

私はその未来を目指して何となく勉強した。(というか机に向かって勉強するふりをしていたという表現が正しい)

中学受験させたい親父と机に向かって勉強するふりの自分の3年間ではあったが、何とか中高一貫に合格することができた。

今も合格の瞬間が思い浮かぶ。

午前に受験をし、夜7時くらいには結果が掲示される。

その日は寒さが厳しく夜に雪が降る予報で待ち時間の間、学校近くのカフェで待っていた。

夜7時。

掲示された。

番号を見つけた瞬間、親父は泣いた。
そして関係各所へ合格の電話をしていた。

私は勉強するふりをしていた3年間ではあったものの頑張って良かったなと思った。

でも本気で取り組んでいなかった。
だから表面的な喜びであった気がする。

心から喜んだ覚えはどうしても思い起こせない。

でも勉強しなくて良い6年間が始まると思っていたからワクワクしていた。


あんなことやこんなことが起きるとは知らずに、、、


次回!

「何かズレはじめているけど楽しいからまぁいっか!の中学一年生」

お楽しみに〜

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