夢原案「よくあるパンデミック」その2(R18G)
※筆者の悪夢を元にした作品です。スプラッタ表現があります。
三脚を持ってきておいて正解だった。
まず、この会場内はすでに理性を保った人間が1人もいなかった。至る所から現れて、私にかじりつこうとしてくる元選手・元観客たちを殴り倒すのに三脚が活躍した。
もう1つ、身を守るのに夢中になったことで「あの光景」を思い出さずに済んだ。学生時代、彼女と別れてやり切れない気持ちだったのをバイトで発散したようなものだ。
建物の出口は地獄絵図だった。元人間達が共食いの真っ最中で、何人かは私の方を見ていたが、すぐにほかの連中に食らいつかれて肉の山へと消えていった。彼らは質より量らしく、私を素通りして死体の山に向かう者も多かった。つまり、物陰の不意打ちにさえ警戒すれば出口付近は以外に安全なのだ。
私は出口ホールから2階へと続く、階段の中程に待機した。見通しがいいので奴らには見つかりやすいが、逃げるのも容易だ。ようやく携帯を確認する余裕が出来た。
SNSやネットニュースを見る限り、建物の外と中はそう大して変わらないようだ。ウイルス感染、凶暴化、ゾンビ、人類の終焉なんてワードまで飛び出している。パニックは日本にとどまらず世界中で起きており、同時多発バイオテロという憶測が流れていた。
ある動画を見つけた。感染者に襲われた通行人が、ほんの20秒ほどでゾンビ化するまでの過程をまるまる映しており、最後は撮影者も逃げ遅れて襲われていた。消えかけの理性で動画を投稿したと思われる。
ショッキングな映像だが、私の驚きはそこではなかった。
通行人を襲ったゾンビが、兄だったのだ。
見覚えのあるスーツと横顔、動画内に映った時計には、先程兄に報告の電話をした履歴と同じ時刻が確認できた。それに、そのゾンビの右手には、携帯が握られており、兄のゾンビ化はあの電話の直後ということに……
「一緒に連れて帰ってきてくれ」
連れて帰る相手も、連れて帰る先も、もういない。
私と兄は仲が良くはない。ただ悪くもない。お互いが合わないのを感じていたし平和な距離を保ったというのがしっくりくる表現だろう。甥は兄のようなスポーツマン気質だが、何故か私にも似てややドライな性格でもある。
本当に淡白な付き合いだった。にも関わらず、いざ失ってみると、虚脱感がする。身内は他にいない、友人や恋人もろくにいなかった私にとって、彼らはそれなりに生きがいとしての役割があったと気付いた。
ガラスの割れる音で我に返った。
入口ホールに、外からゾンビ達が侵入してきている。やはり皆死体の山に向かっていくあたり、感染者には行動パターンがあるのだろう。
1人、体に火がついているゾンビがいる。しかも理性がまだ残っているようだ。
「燃やさないで!俺は噛まれてない!やめろ!」
壊れた機械のように同じセリフを繰り返しながら、炎のゾンビは死体の山に倒れ込んだ。彼はすぐに動かなくなったが、火は生きている。徐々にほかの死体に……動く死体も含め……燃え広がって行った。
ゾンビ達は肉に群がる習性はあるが、火は恐れないようだ。音や光に反応はしているが、熱を感じないのかもしれない、上手く行けばこの辺りのゾンビをまとめて焼き殺せるわけだ。外への脱出も見えてくる。
ふふっ、と気の抜けた笑いが出た。外に出てどうなるというのだ。自衛隊の救助でも待つか。それともほかの生存者を探して旅でもするか。なんのために?
私は夢も持たず惰性で生きてきた人間だ。身内もいない今、生き残りたい理由は特にない。人類滅亡の回避という点で考えれば酷く反抗的かもしれないが、モチベーションが湧かないものはどうしようもない。それに、
私は自分の左手首を見た。うっすらと引っかき傷のようなものがそこにはある。
三脚で殴り倒してきたゾンビ達には接触しないように気をつけていたから、おそらく救護室で誰かに付けられたのだろう。まだ発症してないとはいえ、人類の存亡について真面目に考えるなら私はこのまま焼け死んだ方がいい。
思ったより火の手は早かった。ホールはすでに火の海で、焼けている自覚がないゾンビ達が何体か蠢いている。
どのみち脱出は無理だったかもしれない……
そう思った時、まだ炎に包まれていない廊下部分に、見覚えのあるゾンビがいることに気付いた。
大柄で両目がない……まさか……しかし、さっきのあいつは隻腕だった。このゾンビは両腕がある。
もっとよく見ようと階段を降りようとして、足を踏み外してしまった。数段落ちるだけで済んだが、派手な物音を立ててしまった。まずい。
巨体のゾンビがこちらを向いた。
やはり見間違えなどではない、同じ顔だ。そしてこいつはやはり隻腕だった。ただ、新しい腕が生えていたのだ。太さが違う、肩の位置も違う。何より新しい腕は左腕なのだが、右側に生えていた。
巨体のゾンビは、足元に転がる死体をその『左腕』で持ち上げた。そして本来の左腕で死体の腕を一本引きちぎり、その付け根を自らの右肩へと突き刺した。慣れた料理をするかのような手際の良さだ。しかも恐るべきことに、取り付けたばかり三本目の腕をそのまま動かしている。
「あれ……逆だ……」
また左腕を付けてしまったのだろう、巨体のゾンビは首をかしげている。盲目故の間違いだろうが、今の私にはそんなことどうでもよかった。
その右肩の『左腕』、今付けたやつじゃない方、
誰から奪った?
救護室に来たのは、そのためか?
自分が恐怖も嫌悪感も越えた感情に呑まれていくのがわかった。
「おい、お前、その腕返せよ。」
声が震えていた。声が震えるなんて体験、いつぶりだろう。巨体が声の出処を確めるようにこちらを向く。
「腕……俺の。」
「違う!」
天井に立ち込めた煙も、壁を覆い尽くす炎も今はどうでもよかった。こいつだけは許せなかった。許してはいけないと思った。どくどくと全身に血が巡ってくる、そのせいか手首のかすり傷がヒリヒリする。
「腕……いいな。」
巨体は私の方へ走り出した。私も巨体の方へ走り出した。お互いに勢いがついている、このまま三脚を顔面につき刺してやる。走幅跳びのように利き足で地面を蹴り、私は飛び上がった。自分でも驚くほどの跳躍力だ。
しかし次の瞬間、失敗に気付いた。だらしなく開いた巨体の口の中に、人間の顔のようなものが見えたからだ。こちらは両目を持ち、私をしっかりと見据えている……
三本の腕が俊敏に動いて私を捕え、勢いを利用して投げ飛ばした。
幸い火の中には突っ込まなかった。手首が痺れているが他は無傷だ、死体がクッションになってくれた。投げ飛ばされたことで頭が少し冷えた。あの巨体、目はとっくに調達し終えていたわけか。聴覚に頼ったり腕を間違えたりするくらいだから、視野は狭いのだろう。あれは丸呑みにされた誰かの頭なのか?一瞬しか見えなかったが甥ではない。甥はあの時既に片目だった。腕も案外、他人のものかもしれない。
巨体の足に火がついている。熱は感じにくいはずだ。このまま放っておけば焼け死んでくれる可能性もあるが、それを確認するまで私が生きている保証はない。やはりこの手で殺してやりたい。
だがどうやって?救護室の時も死角からの攻撃で返り討ちにあっている。さらに今は三本も腕がある。化け物め。くそっ、まだ手首に違和感がある。ただの痺れじゃないのか。
そう思って左手首を見ると、先程のかすり傷はもうかすり傷ではなくなっていた。
傷は紫色に変色し腫れ上がっていた。しかも肘辺りまで腫れは広がっている。どう見ても打撲の傷じゃない。やはり私はとっくに感染していた……
巨体は私を遠くへ飛ばしすぎた。まだ私を探している。火は背中まで燃え広がっているが、何も感じていないようだ。
お互い、もう時間はない。このままゾンビ化しようが焼け死のうが同じだが、せっかく湧いてきたこの情熱は成仏させてやりたい。
自分の命を度外視したことで1つ作戦を思いついた。まず、手についていた血を舐めた。恐らく、感染者の返り血だ。
舌が痺れる。次に喉、胃袋と、どんどん痺れてくる。
次に私は下敷きになっていた死体のポケットを漁り、携帯を取り出した。それを思いっきり左腕で投げた。思った通り、ゾンビ化は筋力を高めてくれるらしい。利き腕の右で投げるより遠くへ飛んだ。
少し離れた壁にぶつかり携帯はグシャっという音を立てて壊れた。巨体が聞き耳を立てる。
すでに私は次の携帯を投げていた。今度は違う壁だ。左の投擲力なら携帯は簡単に砕ける。死体はまだある。所持品をどんどん投げていく。
痺れが全身に広がってきた。びっくりするほど体が軽い。さっきの私の跳躍力も、恐らく発症が始まっていたからだろう。
巨体は至る所から聞こえる音に混乱しているようだ。これなれ私がゆっくりと移動しているのが悟られない。
いよいよ頭がボーッとしてきた。だがこれであの巨体と渡り合える。
私は自分の携帯を取り出し音楽を再生した。アルバムのシークレットトラックは曲が始まるまで空白の時間が何秒かある。携帯と靴をその場に置き、私は走り出した。演奏開始は5秒後だ。
かすかな足音に巨体は反応したが、すかさず私は死体から拝借したベルトを投げつけた。服や、バッグや自分の三脚も投げた。巨体はひたすら困惑している。そして5秒がたった。
爆音で始まったロックサウンドに巨体は思わず振り向いた。その一瞬の隙を待っていた。私は標的の右肩に飛びかかり、『左腕』を一本引きちぎった。新しく付けた方か。
巨体が暴れ出した時には私はもう離れていた。
「返せ!」
「お前のじゃないだろ。」
私は奪い取った腕を自分の左肩に突き刺した。痛みは感じない。意識が朦朧としてきたが、腕が繋がった感覚がある。
巨体が飛びかかってきた。
私は突進を受け流すつもりだったが、相手の『左腕』に腕を掴まれてしまった。
「……俺の。」
力比べでは勝てない。だが腕の数が上回ってる今はチャンスだ!私はすかさず巨体の右肩に食らいつきその『左腕』を引きちぎって再び距離をとった。上手くいった。
巨体は悲鳴を上げていたが、それは腕を失ったからではなかった。ついに火が顔まで回って来たらしい。口の中の顔を守ろうと最後の左腕で火を払い消そうとしている。
私の体にも既に火がついていた。だが熱さをまるで感じない。不思議と高揚感がある。殺したい、殺せる、殺そう!
左肩にさらに腕を足して三本。もう何が何だか自分でも分からなくなってきた。そのまま巨体に飛びかかり、首に手をかけた。
終わりにしてやる、何もかも終わりにしてやる!
メキメキという音が聞こえる。首がもげる音か?いや違う、上だ!天井が崩れてくる!でも……どうでもいい!目の前のこいつに止めを刺さなきゃ!
ふと、甥の言葉を思い出した。
に……げ……て……
私は半ば反射的に巨体から飛び退いた。その直後落ちてきた天井の一部が巨体のゾンビを押しつぶすのを目の端に捉えた。
急に意識がはっきりしてきた。私はそこまで義理堅いタイプではない……復讐は甥のためというより自分自身のためにやったことだ、大体、逃げるってどこに?
天井は次々落ちてくる。辺り一面炎で何も見えない。躓きそうになり、階段まで戻ってきていることに気づいた。自分のリュックも運良く燃えずに置いてある。
階段の上にたしか窓が!
咄嗟に階段を駆け上がり、まだ火のついていない腕でリュックを掴んだ。
あと3メートル、この体ならひとっ飛びだ!
炎が視界をおおった、ここに来て熱くなってきた。
また、意思と言うより習慣で行動している……いろんな意味で、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなるな……
そんなことを考えながら、窓へ飛び込んだ。
(気が向いたら3話に続きます)
入川礁/役者/脚本/舞台/ボイスドラマ/SHOWROOM『入川礁より、薄明かりの部屋の隅から』/Twitter→入川礁 λ川 @1117lambda3