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10代ラストの日記⏸

@sub__giraffeにのせたやつ!
いまだに自分が20歳な実感がわかんですね 年齢なんてただの記号だけども…

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19歳はずっと自分の輪郭を確かにしていくような年で、色んなことがあってそれぞれを強く感じて、その都度自分を記述できて面白かった

20歳で自分を記述することを1回終わらせて、ちゃんと実のある行動ができるように いつまでも自閉的ではいられない
いらないものは切る 大切にしたい人したい事を大切にしたい 過去に縋らない、過去を武器にしない 前進するべき時にできなくなる



てか考えても仕方ないことがおおすぎ‼️
不安がり過ぎ
不安がって自分の落ち度を素直に認められてないだけだと思う、
たまに弱さを武器にしてるな
自虐で自分を憐れむ暇があったらやるべき事やる

この世の中やれない事あんまりないかもって思った
なんでも やってみるだけ なら余裕でできるし、私はそこら辺フッ軽なの偉いなっておもう
けど 最後まで遂行する がちゃんと出来てないこと多いから 選んで切り捨てて力を割くところを考える、広く浅くから狭く深くね
雑に扱ったものが沢山積み重なったところで意味ないからな〜って



まじで他人はそこまでわたしのことに興味ない
不特定多数に認められたいって気持ちは消えた

見下してくる人馬鹿にしてくる人は可哀想な人なので関わってもしょうがない わたしも毒されるってようやく、思えるようになった
それよか誠実な人と会おう〜誠実な人間関係は結末とは関係なしに美しく残る



基礎の上に自己をのせるから(技巧の上にコンセプトをのせるから)(知識の上に思想をのせるから)良いのであって 自分のアイデンティティのためだけにする逆張りはあんまりよくないっすね



自分が踏まれている足だけではなく自分が踏んでいる足のことも考えなければならないです わたしは悪意なき害悪をやってるので 自省自省にんげん



とかく、自分は、真面目だったり、空気読めなかったり、理論武装しすぎだったり、変わってたり、行動力あったり、ビビりだったり、いい子だったり、怠惰だったり、いろいろいろいろいろするわけですが
全部がわたしなんだと思えたことが10代の1番大きい収穫だった

自分が ただここにあるということ(by春ねむり)
に対して色々評価意味づけをもらうが、それをわたしの全てにして縋りつく必要はどこにもなくて 瞬間ごと周りの環境毎に属性を乗りこなして楽しんで、忘れて捨てて常に色んな面を持てたら、より心地良い方向に変われたらいいなと思う

他人との関係のなかで発見した自分を 100%真っ直ぐにわたしのものにする必要ほんとにない というか、そうするには世の中人間が多すぎて
最後に自分のことを引き受けるのはわたししかいないんだいないんだよってことを、まじでようやく咀嚼できた

それは寂しいんだけどもう、腹を括ってわたしが回すしかないんだな 超自由じゃんってことを発見して 怖さと嬉しさが一緒にある



やめられないね〜

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