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エモい の正体|いつか終わること は絵画的

季節  めぐりすぎ
季節が美しいのは終わりがあるからだ あるいは 季節が来るごとにもう会えない人を思い出すからだ  という文章をTwitterで昔みた  現実から切り離された物事  現実から距離がある物事は美しくみえる

最近の日記


エモいにもいろいろありますけど

ある対象を エモい と感じる時 頭のどこかで終わりを予期している かんじがする

わかりやすい例として 10代 高校生 夕焼け 桜 晩夏 オール 部室でだべる とか
「いつか終わること いつか出来なくなること」は そう意識した瞬間 エモく 儚くなる
二度と戻れない という種類のものにはどことなく甘美さがあるから 学生生活や失恋といったものは簡単にエモく叙情される


(もっとインスタントなものとして 最近やたら「セフレ」がエモく叙情されてる気がするけど、それも終わりを予期した美しさってとこはあるよね)



ところで、終わりを予期すること は俯瞰しないとできないので 俯瞰した視点が エモい には含まれる

エモいと思う時、どこか現在から離れた地点から状況を客観視している その地点と現実の「埋まらない距離感」がエモさの持つ儚さの根源だと思った
だからカメラロールを見返すのは楽しくてエモい

去年2月の日記

↑この感覚を昨日院生の美術部員におしゃべりしたら つまり「絵画的」ってことだね っていうパーフェクトアンサーをもらった たしかに、、、

もっと具体例を考えてみましょう

あの密室で出会った 迷宮入りの恋の行方を
白髪混じりのため息と 諦めの笑顔で見送る
水平線の向こうへ おもむろに消えてく

いつのまにやら 犬に食われて
跡形もなくなる
川に流れて約束破って
知らない誰かとデートする

「みんなどこ行く」Have a nice day!

個人的なエモの極値はハバナイのこの曲(きいてほし.....)
やはり歌詞に分かりやすく 終わり 移ろい の描写がある

「花束みたいな恋をした」 有り得んくらいエモい映画ですが、これもまた分かりやすく 終わり によって美しさが増幅されてる例と思う


冒頭の日記で書いたように 季節 も終わるから美しくてエモい
桜がいつまでも散らずに満開とか 花火が永遠に夜空にとどまってるとか がち全然よくないよたぶん

時計台は概念としての「父」兼松は概念としての「母」じゃないです?

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