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知りたいこと
日雇いのライブ撤去のバイトをしたことがあります。
一人じゃ到底持てないような重いものを、集団で運びました。はめている軍手がずれたり、坂にさしかかって誰かに負担が偏ったりした時に、「すみませーん、いったん(持っているものを)おろしまーす」って聞こえるんです。
これを、私は、社会の成員のひとりとして、そして私自身の中で行わなければいけない。何を、どこに、運んでいるのかわからないまま、重いものを持ち上げ続けて、運び続けるなんて、馬鹿げている。
つまり、立ち止まって考えなければならない事柄とタイミングがある、ということです。私にとって、それはまさに今だ。
私の息苦しさの何割かは『「ふつう」の圧力』に関係しています。当然だと思っていることがどうして当然なのか。どのように当然だとされるようになったのか、考えたい。
具体的には、恋愛、結婚、家族、ジェンダー、そして労働について。
いつだって、立ち止まって、生きていくのには必要のないこと(=役に立たないこと)を考えていいはずなのだけど、世の中にはそれを許さない空気がある。でも、大学では、それが許されている。はず。
私は生活をおろそかにしたくない。哲学の授業を受けながら、こんなことより今日の夜ごはん何を作るかの方が大事だろ、と思っていた。でも、ただずっと生活をして死んでいくのは怖い。死んだら全部無くなるとしても、もやもやしたことについて考えたい。そして、なにか形あるものを残したい。
これから考え事もする日々にします。