sun goes down くだらない世界の一部は好きでいつづけること
夏だから、浮かれて、インスタにおどけて投稿ばかりしていた。 誰に頼まれてやったんだ?なぜ、何のために、私の生活を垂れ流したんだ? 米を研いだ。 心療内科の診察だった。また、困難を告げられなかった。言いよどむことすらないまま、困ってないと言って終わった。毎日飲むたびに体調が悪くなるだけの薬は、一番新しい薬らしくて、頭の働きが鋭くなるらしい。 顔を上げればずっと先まで見通せる街に住んでいるのに、私の将来は不透明。 急に何もかもわからなくなること。 何を着て、
世界が遠い。 世界が遠い。異物としている今日。 電話で旅館の予約をした。時間がかかってつながった電話の先の声は、雑音混じりで不明瞭で遠かった。音が割れて寸断された世界で名前を告げたが、届いたのだろうか。 他者の顔に警戒の色を読み取った時、きっと私も同じような表情をしている。わかりあえない。 5個目の印が押された青春18きっぷは、もうすぐ役目を終える。それでもまだ、飛び出していけるだろうか。じっとしていたら、待っているのは滅亡だ。 早起きをすれば、運動をすれば、いくら
夏休みが始まる。 徒に学生期間を延ばしているけれど、心中穏やかってわけじゃないんだ。むしろ、この中途半端な苦しみが、中途半端がゆえに、うっすらと視界に靄をかけている。 夏。今年の夏は、力いっぱい勉強したい。 いつか準備が整って、着実に、納得できるかたちで、ブルドーザーみたいに物事に取り組める時が来ると思っていたけれど、それは幻だった。当然のことながら、すべての瞬間が取返しがつかないから、とにかく今すぐに駆け出さなくちゃならなかったんだ。そして、転ばなくちゃならなか
ごはん食べないと元気でないし、ご飯作ると疲れるの、まじでどうなってんのこれ?
つま先が細い靴。 歩きスマホをする大人。 冬でもスニーカーの人。 ご飯を食べながらスマホを見る人。 広告。 社会に出るという概念。 おもむろに、とよく使われる風潮。 飲酒。 入力したパスワードは正しくありません。 明日のバイト、ばかみたいに雪が降って、お客さん誰も来ないといいな。
誰にも救われないし、誰も救えない。 出口がないじゃん、この世の中。 って感じ。
言葉にできる苦しみだけが本物だということにする。 そうでないものは、気のせいで、すぐ消える。 もう、気持ちのお世話をするのはおしまい。 もっとちゃんとひとりになって、閉じて、問題意識を見つめるの。
わりともう、何もかも無理で、こんなところにいたくない。 一人になりたいから、北海道に来た。でも、誰かと生きることを、退屈で冗長な人生をどうにかしてくれる最後の希望だと思ってもいた。 そんな矛盾した思いを持ってくる土地としては、北海道札幌市は、最もふさわしくない街の一つだった。 視界が遮られるほどの吹雪も、朝、玄関の戸が開けづらくなるほどの雪も、でこぼこだらけになって歩きづらい道も、一瞬も気を抜けない凍った路面も、もう何もかも嫌だ。 これから冬本番らしい。もっとも
眉毛を剃った。 むしゃくしゃしたから。 なりたいのは、唯一無二の私なんかじゃなくて、馬鹿にされない私でしかないのかもしれない。 喉が痛かった。火傷したみたいだった。 体が重くなってきた。部屋干しの下を通るとき、体勢を低くすると、太ももにいつもより力が入らなかった。 鼻が詰まった。鼻水が出た。咳が出た。 熱が少しだけ出た。 たくさん眠った。22時から翌日の15時まで眠った。途中で何度も起きた。 ちょっと頑張って風呂に入った。 だんだん回復していることに気付
日雇いのライブ撤去のバイトをしたことがあります。 一人じゃ到底持てないような重いものを、集団で運びました。はめている軍手がずれたり、坂にさしかかって誰かに負担が偏ったりした時に、「すみませーん、いったん(持っているものを)おろしまーす」って聞こえるんです。 これを、私は、社会の成員のひとりとして、そして私自身の中で行わなければいけない。何を、どこに、運んでいるのかわからないまま、重いものを持ち上げ続けて、運び続けるなんて、馬鹿げている。 つまり、立ち止まって考えなけ
よろしく、冬。一緒に遊ぼうね。 雪が積もった夜って、すっごく静か。歩いていると、自分の足音だけ聞こえる。 恐る恐る踏まれるアクセルペダル。きっと車内はあったけえんでしょうな。 こちらは寒いですが、のろいですが、私の歩みの方が、着実な気がする。 歩くこと楽しい。家まで1時間弱なんだけど、毎回気づいたら着いている。 今の通り道が一番好き。何かおもしろいものがあるってわけじゃないんだけど。競馬場の横のなっがい直線も、桑園駅の近くの大きめの交差点も、函館本線と学園
地元に帰省している。私は大学生。 何にもないと言い切れないほどには何かがあるが、それでもやはり、何にもない。 電車に乗れば街に出れる。決まった距離を、ゆっくり往復するだけの電車によく乗っていたのは、高校生の時だった。私が生まれる前から人を運んでいた電車は、それまでは、私にとって縁遠いものだった。 どうして家の外に出なかったのだろう、と今になって思う。目が悪くなるほどに見つめる枠に、特別な魅力があったわけではないのに。飛び出せば、息がしやすいところが見つかったかもしれな
5月から心療内科に通っている。強迫性障害と思われるような症状に悩まされ、生活に支障をきたしていたからだ。もともと心配性ではあったが、いつのまにか度が過ぎていた。何か汚いものを踏んでしまったのではないかと不安になり、自分が来た道を振り返る。時には戻って確認する。電子機器に水が付くのが怖くて、手を洗った後は指先から肩まで拭いている。シンクに当たって飛び散った水滴のことも考え、念のため服の前側も拭く。外出時に窓を閉めて鍵をかけたか何回も確認する。その他いろいろ。 心配になるのも
2022年の3月から日記を書いている。新潮文庫の『マイブック』という、日付だけが記された、白紙の文庫本に、たいてい眠る前に書いている。日記には自分以外ほとんど出てこない。そのときの自分の内面をできるかぎり言葉にしようともがいている。言葉が出ない、とか、いやこれは違う、と書いたりすることもある。 その日記は、私の部屋に入った人しか見ることができない代物だ。今のところ、私は部屋に人を招いたことがないから、誰にも見られていない。それでも、時々、誰かに見られることを期待して、背伸