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4話 緊張してまともに喋れない日

気ままな日々を過ごしていたある日。
岡山で気になるイベントが開催されることを知る。行くか行かないかどうしようか、まだその時は断定できなかったが、何となく行くのだろうと思いつつ、一応保留にした。

イベントの前日、やっぱり行こうと決めた。はっきり言って決めるのが遅い。でも、言い訳をすると、その時、その瞬間の自分の気分を最優先しているため、そういった予定の立て方になってしまうのは、致し方ないのだ。

「自分の仕事をつくる」という本を、数ヶ月前に読んでいて、気になるなと思って、著者である西村さんのインタビュー記事を読んでいた。そして、「面白そうな人だな」と、いつか会いにいける日があれば、会いにいこうと思っていた。

(この対談の中編のお話にある「血中意味度の高い仕事をする」の言葉など、興味津々で読ませていただいた)

わたしは、転機における選択や、行動の起点を「人」によってもたらされると思っているし、事実、今までもそうだった。
では、「人」の何を見ているかというと、人それぞれ違うと思うが、わたしの場合は、「未知」「新しさ」みたいなものを、その人から感じること。
(これは、その時は、面白そう!とか、ちょっと変だけど、なんか気になる!とか、そんな感覚)
また、その人が放つ「言葉」に惹かれることが多い。濃密な言葉。自分の生き方を体現している言葉。

今回も、人にいざなわれ、岡山まで飛んでいったわけである。
地元の大阪から岡山までの道のりは、気合いなんていうものは皆無で、近くのカフェまでふらっと寄ろうか、そんな感じだ。
これは、わざとそういう姿勢をとることを経験上、学習したと言ってもいいのかもしれない。そうでないと、神経がくたびれてしまうのだ。
わたしは過敏に緊張する方で、新しい場所に行くことは苦手だし、初対面の人と話をすることにかなりの労力を費やす。
講習などで、初対面の人といきなりグループワークをすることがあると思うが、表面上ではうまく取り繕えていても(多分)、精神的には疲れ果てている。だから、帰って一人になれる時間を十分すぎるほど確保しないと回復できない。

そういうわけなので、新しい場所に行く時は、たいてい、お腹が痛くなっている。だから、あえて意識が拡散するように、カフェラテを飲んだり、イヤホンから音楽を流して刺激を遮断したりしている。はたから見たら、やる気のない若者とカテゴリー分けされるのかもしれない。本当は、臆病者の悪あがきとでも名付けてもらいたいくらいである。

そうやって、風に誘われているかのように、大阪駅から高速バスに乗り、岡山駅までたどり着く。駅に着いたら、ショッピング街や飲食店が立ち並んでいた。きれいに整備された街並み。
こういった光景はどこに行っても、今までいろんな場所に行ったが、ほぼ変わらない。スタバもあるし、見慣れた化粧品屋もあるし、デパ地下っぽいのもある。少し安心するが、少し寂しい気持ちにもなる。どこもかしこも、便利さという名のもとに画一化されているんだと。

そんなことを思いながら、駅の中のショッピング街をぶらぶらしたり、早めの夕食を済ませたりした。時間はまだたっぷりあったが、目的地の方向へと歩いていくことにする。大通りの中心を、堂々と路面電車が、次々と行き交う姿を横目に見ながら進んでいく。急に思いついて、大通りから外れて、商店街らしきストリートに入っていく。本屋さんと文房具屋さんに寄れればいいなと思っていたら、ちょうど本屋さんが目に入ってきたので、躊躇なく店内へ。すると、幸運にも文房具も売っていた。目当ての本も買え、一石二鳥。

その後、イベントへ。
イベントの名前は、西村佳哲「一緒に冒険する」出版記念×もっと題名のない選曲会。

心地の良い音楽が流れながら、おいしいコーヒーを飲みつつ、繰り広げられるトークライブは極上の何物でもなかったが、ゆるりとやわらかな空気に包まれる中、時折、心に刺さる言葉が飛び交う。

「教育は、まちづくりの核となる」

教育は、人づくり。そして、わたしは、子どもたちが、人と人をつなぐキーパーソンとなりうるのでないかと思っている。

「なんとなくがキーワードとなる」

自分から動いて未来を設計していく、ということより、周りの力や、人とのつながりの中で導かれるものことこそ、本当の自分に近づく鍵なのかも。

「働き方を工夫していくというよりは、違和感の本体をどう改善していくかが大切。そして、それは感受性の問題でもある。感受性とは、日々どう感じているか、どんな風に生きているかということ」(意訳)

言ってしまえば、特別なスキルも実績もないわたしにとって、光が差すような言葉だった。わたしも、違和感を拭い去ることができない過去があって、今がある。子どもの今と未来だけは、諦め切れなかったのだ。

トークライブが終わった後、緊張して挙動不審になりながらも、ご挨拶に伺い、感じたことを話そうとしたが、なぜか言葉が出てこない。それでも何とか、自分がこれからしようと思っていることや、今日のお話で心に刺さった部分を伝えた。おそらく、しどろもどろになっていたことだろう。

高速バスは夜には止まってしまう。あらかじめ予約していた新幹線の時間が迫っていたので、足早に会場を後にする。

そして、帰り道、泣いた。忠実に言うならば、涙がこぼれかけた。だから、泣いてないか。
いまだに、自分の思いを言語化するのがうまくできない自分。一人ぼっちで、こんなところまで来てしまった自分。まだまだ道のりは長いし、途方に暮れそうになる。

でも、そこで、今までと違ったのは、「そもそも、わたしってそうじゃないか!」ということだった。

わたしは、そもそもうまく話せるわけじゃなかった。

そもそも、ゼロからのスタートだった。

何にもなくても、始められる。

そう思うと、すーっと心の中が晴れ渡った。「これから冒険ですね」と、西村さんから言葉をもらったが、「まさに冒険だなぁ〜」としみじみ思う帰り道。

がんばるわけじゃなくて、日々感じることを大切に掬い取るように生きていたい。


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このノンフィクションのストーリーは週1回投稿していきます。時系列に沿っていないことが多いです。

この日記は「ギャグのような、ほんとのはなし。」というマガジンに格納されています。

画像は恐縮ながら、西村さんのtwitterからお借りしました。(紛失してしまったため)

#日記 #移住 #ノンフィクション #イベント #西村佳哲さん #生き方 #仕事


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やまだ めぐみ
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