第17回・逃げた先ニ
子供の頃は、いつも泣いていた。
周りと比べると、身体も小さく、運動も得意ではなかった。
それもあって、皆んなが集まってやるような遊び、例えばドッヂボールとか野球とかサッカーとか、そういったものには、積極的に参加出来なかった。
だから、ひとりでいることが多くて、より標的になりやすかったのだと思う。
自ら進んでひとりになることは、何とも思わなかったが、仲間外れにされたり、いじめられたりして、周りからの力が作用することで、蚊帳の外にされるのは、悲しかったし悔しくて堪らなかった。
子供というのは素直だからこそ、残酷なことも躊躇無く実行してしまう。
今はそう考えられるから、「あれは仕方がなかったのかな」とも思えるが、ある一時期は、担任からストレスの吐口として標的になっていたこともあるので、大人も恐ろしかった。
「このまま生きていたら、自分も自然と大人になってしまう。大人になるくらいなら」と、自ら人生を終わらせようと真剣に考えたこともあったほどだ。
正直、いじめ体験としては、あの時が一番辛かったかもしれない。
ある時期、私と同じように標的にされやすい子が、他にもいた。
その子も含め、数人と一緒にいた時に、僅かながら一瞬、変な空気を感じた。たぶん、いつも感じているそれと同じだったから、気付けたのだと思う。
あの日、私はその子をいじめた。
暴力を振るったりはしていない。
ただ、皆んなと逃げ回って、その子を蚊帳の外にした。
私はその子から逃げ回ったのではなかった。
今回だけでも自分は傷付きたくない、また辛く悔しい思いはしたくないと必死で逃げていたのだ。
そして、その子が大泣きする姿を見て、安心していたのを覚えている。
放課後、そのいじめの実行犯の全員が教室に残された。
当然、その中には私もいた。当時の担任はとても優しい方だったが、やっぱり私が求めていた『大人』ではなかったと思う。
先生は、一人ひとりにお説教をしながら、両頬を思い切りツネった。
私の番が来ると、同じように両頬をツネり「あなたが一番、気持ちがわかるはずでしょ?」と怒鳴りながら、目を潤ませた。
私も涙が止まらなかった。
だけど、それは反省の涙ではない。
心の中で「じゃあ先生は、何で助けてくれないの?怖かったのを何でわかってくれないの?」と思い、結局また『ひとり』にされたのだと泣いていたのだ。
ただ、その一件で、いじめたことで確かに安心はしたが、気持ちの良いことではないなとは感じた。
いじめられるより、いじめる方が人間として怖いことなのだと。
そして、逃げることは悪いことではない。
恐怖に直面したら、逃げるべきだ。
ただあの時は、一緒に逃げる相手を間違えた。
私は、あの子と一緒に逃げるべきだった。