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14.ハイブリッド化による創造的思考ー福井の九十九橋ー


既成概念の組合せ、ハイブリッド化

 京都の鴨川に架かる三条大橋は、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が増田長盛に命じて行った改修工事により、従来の木造橋について橋脚のみを石柱とする水平展開により生み出された
 「腐食に強い石材」と「曲げ力に強い木材」を組み合わせることで、当時としては最強の耐久性を有する桁橋けたばしを実現したのである。

 既成概念の組合せではあるが、社会には大きなインパクトをもたらした。これも創造的思考の一環と考えて良いであろう。 

 このように異なった材料を組み合わせ、それぞれの特性を生かすハイブリッド化の概念は、その後も、鋼材や複合材料など新構造材料が開発され、橋梁に応用されていくことで、社会には大きなインパクトをもたらす。

足羽川あすわがわに架けられた九十九つくも

 福井市歴史的建造物ガイドブックによれば、九十九橋つくもばしは、古くは北ノ庄橋、福井大橋、福井掛合かけあい橋などと呼ばれていた。

 1575年(天正3年)、織田家の家老であった柴田勝家が北ノ庄城主となり、城下の整備に着手した折に、従来からの木造橋を半石半木はんせきはんぼくに架け替えたといわれている。
 ハイブリッド化であるが、どのような橋であったのか?興味深い。

 当時の九十九橋は、城下で足羽川あすわがわに架かる唯一の橋で、畿内と越後を結ぶ北国街道の要衝であった。北ノ庄城(後の福井城も)は、足羽川の北側に位置する。
 足羽川は河川敷の北側を流れており、南側の河原には桃林が広がっていた。九十九橋は北側の川の中を木造橋とし、南側の河原には足羽山周辺で採掘される笏谷石しゃくだにいしを使った石橋が架けられた。

写真1 福井市立郷土歴史初物館に展示されている九十九橋の再現模型

九十九橋の「半石半木」構造について

 江戸時代以降は藩政資料などが残されており、九十九橋の概要や架け替えの状況を伺い知ることができる。

 「越後国名蹟考」1815年(文化12年)には、九十九橋(米橋よねばしともいう)の寸法についての記載がある。橋長:88間(約160m)、全幅:3間半(約6.3m)で、大きさは京都の三条大橋ほどとある。
 北側にある川の中の木造橋部分の長さは47間(約85m)で、橋脚は3本並立の14列で、南側の河原の石橋部分の長さは41間(約75m)、橋脚は3本横並びの31列である。

 「国事叢記」1846年(弘化3年)には、1649年(慶安2年)の 福井大橋の架け替え、1688年(元禄元年)に橋杭と石板を残らず改築、1759年(宝暦9年)に架け替えと渡り初めの詳細が記載されている。

 福井県土木部の調査によると、江戸時代から明治にかけて焼失による修理などを除き、 合計13回 の修理、約20年 に1度の割合で架け替えが行われていた。「半石半木」の奇橋として全国的に有名な橋であった。
 1874年(明治7年)に「半石半木」の最後の架け替えが行われ、1909年(明治42年)には、木造トラス橋に架け替えられた。 

 九十九橋の北詰、木造橋の先には照手門てるてもんがあり、常夜灯と高札場が設けられていた。橋を渡り、城の橋通りを東に向かうと北ノ庄城址に至る。かつての「半木半石」の橋の高欄は、柴田神社境内で復元されている。

写真2 明治初期の九十九橋北詰の木造橋と照手門 出典:福井市「春嶽公記念文庫」蔵

 1909年(明治42年)に解体された石の橋脚や橋桁の一部は、市内の民家や寺社に残されている。福井市歴史的建造物ガイドブックによれば、梁は50cm角材で長さ2.5~2.8mで、橋脚は角にやや丸みが付けられている。

 石の欄干は浅水二日町の吉田家に55間(約100m)分が残されており、高さ1.1m、欄干の親柱には1777年(安永6年)の刻銘がある。

写真3 福井市立郷土歴史初物館に展示されている九十九橋の原寸模型

なぜ「半石半木」としたか

 九十九橋は、その構造が石橋の部分と木造橋の部分で構成されている。この理由について、昔から様々な説が伝えられている。

①戦国時代の建造であり、戦時に木造橋を撤去する防衛上の必要性
②洪水の際に木造橋を落して橋全体の崩落を防ぎ、復旧を容易にした
③全体を石橋とする計画であったが、水流が強く工事が困難であった
④世人を驚かそうとする好奇心から
⑤川の中に青石層(笏谷石)が露出し、これを天然の石柱とした
⑥)足羽川は舟運に利用されていたので、木造橋で広い径間を確保した
⑦フェーン現象による大火をおそれ、足羽川の南北の防火帯にした

九 十 九橋架替の土木史的考察

  創造的思考をどんどん膨らませてみよう。ハイブリッド化により既成概念を超えたイノベーションが「半石半木」から見出せるか?

 戦国時代には①が最優先され、江戸時代に入ると②④⑥あたりが鍵となる。当時の技術レベルを考えると、②の最弱点部を設ける設計は最先端である。④は観光目的。また、木造橋部分のスパンは約5.7m、石橋部分のスパンは約2.4mであるから、⑥の説得力は強い。

 重要なのは「半石半木」の橋が、架け替えを繰返しながら300年間も使われたことである。九十九橋には、その時代その場所に即した機能が見出され続けたのであろう。

 現在の九十九橋は、1986年(昭和61年)5月に架け替えられた。橋長:143.9m、幅員:26m、最大支間長:48.5mの、鉄筋コンクリート製の4径間連続鋼床版桁橋である。

写真4 常夜灯を模した親柱に昔のなごりが見られる現在の九十九橋

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