46.橋梁デザイナー大野美代子さんの設計ー横浜ベイブリッジ
橋梁デザイナーの「大野美代子」
「橋梁デザイナー」という職名はあまり知られていない。ましてや「大野美代子」という名前も、残念ながら橋梁関係者以外ではなじみが薄い。
大戦後、国内では橋梁の設計者名が表に出ることがなくなった。価値観が多様化している現代において、見直されるべき慣習であろう。
1963年に多摩美術大学を卒業した大野美代子は、1966~1968年に日本貿易振興機構(ジェトロ)の海外デザイン留学生として、スイスのオットー・グラウス建築設計事務所で研修し、帰国後の1971年 エムアンドエムデザイン事務所を設立した。
当初、インテリアデザイナーとして家具や住宅、病院などを手掛けてきたが、1977年に架橋された東京都板橋区の蓮根歩道橋のデザインを行ったことで、「橋梁デザイナー」としての道を歩み始める。
大野美代子は”美しく橋を創ること”に関して、次のように語っている。
大野美代子は、「かつしかハープ橋」(1986年)、「横浜ベイブリッジ」(1989年)、「名港中央大橋」(1997年)など65件のデザインを手掛け、そのうち橋梁・構造工学の優れた業績に授与される土木学会田中賞を19件も受賞した。いずれも、見事に「美しさ」と「優しさ」を調和させている。
横浜港湾口部に架かる横浜ベイブリッジ
神奈川県横浜市鶴見区の大黒埠頭と中区の本牧埠頭の間に架かる「横浜ベイブリッジ」は、高速湾岸線の一部を構成する2階建てのダブルデッキ形式の斜張橋である。上層は首都高速道路、下層は国道357号線で、それぞれ6車線の道路橋である。
主塔のケーブル定着位置を上下方向にずらしたファン型が採用されている。主塔基礎2基、端部基礎2基で構成されており、「3径間連続鋼床版トラス斜張橋」である。
直線的でシンプルな外観から、近代的な印象を受ける優美な橋である。
橋長:860m(中央支間長:460m、両側径間:200m)、幅員:26.5m、主塔の高さ:172m、大型客船が通過できるよう桁下の高さ:55mと高い。鋼材重量:5.43万トンである。
「横浜ベイブリッジ」という名称は、横浜市による1964年(昭和39年)の計画開始時に付けられた呼び名である。
建設は、首都高速道路公団から、2共同企業体の6社に発注された。本牧埠頭側:三菱重工業、石川島播磨重工業(現在のIHI)、川田工業で、大黒埠頭側:NKK(現JFEエンジニアリング)、横河橋梁製作所、住友重機械工業が担当した。
1984年(昭和59年8月)に着工し、1989年(平成元年9月)に開通した。
2本の主塔は、若干内側に傾きながら先細りとなっており、そこから2面11段、2条並列のメインケーブルが張り出され、トラス形式の補剛桁を引き上げている。
青空を背景にした白塗りの主塔と補剛桁、直線的なメインケーブルの織りなすハーモニーが実に美しい。
横浜ベイブリッジを支える基礎構造
横浜ベイブリッジには多柱式基礎が採用され、直径10mのプレストレスコンクリート製の杭が使用された。この杭は、主塔を支える橋脚部分にはそれぞれ3×3の9本、その両側の端橋脚にもそれぞれ3×2の6本が用いられた。
横浜港の地盤は沖積砂層や粘土層が厚く堆積しており、支持地盤は海面下40~60mにある硬い土丹層とされた。
土丹層への根入れは14m以上確保されたので、主塔を支える橋脚の杭の長さは大黒埠頭側で75m、本牧埠頭側で87mに達する。その両側の端橋脚の杭の長さは大黒埠頭側で68m、本牧埠頭側で59mである。
それぞれの橋脚の上部はプレストレスコンクリート製のフーチングと呼ばれる函で一体化されている。フーチングと多柱式基礎杭とは、現地においてコンクリートの流し込みで強固に固定される。
主塔を直接に支えるフーチングの大きさは56×54m、その両側の端橋脚の上のフーチングは54m×34mで、厚さは9~12mである。これらのフーチングの上には、鋼製の塔や橋脚躯体が立ち上げられた。
多柱式基礎構造の工事は、ドッグでのコンクリートバージ(フーチング)製作➡コンクリートバージ曳航➡現地での筒状コンクリート杭の設置➡コンクリート流し込みによるフーチング一体化の手順で行われた。
スカイウォークとは?
横浜ベイブリッジには、歩道が無く徒歩で渡ることはできない。ただ、スカイウォークが、横浜市政100周年を記念して1989年9月に開通した。横浜市が管理する市道で、正式名称は「横浜市道スカイウォーク」である。
大黒埠頭にある高さ:約60mのスカイタワー内のエレベーターを使って橋床下部まで上がり、歩行者専用のスカイプロムナード(長さ:約320m、幅:約2.5m)を歩けば、大黒埠頭側の主塔の補剛桁下部に設置された展望施設「スカイラウンジ」に到達する。
残念ながら、横浜ベイブリッジを渡りきることはできないが、スカイラウンジからは、横浜港に寄港する大型客船などを眼下に眺めることができる。
横浜ベイブリッジの歴史
1964年(昭和39年)、高度成長期に悪化した横浜市街地の交通渋滞解消を目的に、横浜市港湾局を中心に調査が開始。
1969年(昭和44年)、建設省による調査が開始。
1977年(昭和52年8月)、「横浜ベイブリッジ」を含む横浜市鶴見区扇島 - 中区千鳥町間の都市計画が決定。
1980年(昭和55年11月)、「横浜ベイブリッジ」の建設に着工。
1981年(昭和56年)、「横浜ベイブリッジ」の基礎工事に着工。
1989年(昭和64年9月27日)、上層部の首都高速湾岸線と共に、スカイウオークが開通。しかし、高速通行料金の関係から市内中心部の渋滞解消には至らなかった。
1989年(平成10年)、土木学会田中賞を受賞。
2004年(平成16年4月)、下層部の国道357号が開通し、港湾関係車両の重要な移動経路として利用。