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40.東京都江東区は鋼橋の博物館ー震災復興橋梁たち


江東区の都市景観構造物指定

 江東区は、水路が巡る街である。その特徴を活かすため、2004年(平成16年8月)に都市景観重要建造物として「亀久橋」、「福壽ふくじゅ橋」、「東富とうとみ橋」、「萬年橋」の4橋を指定した。今後、指定された橋を保全し、景観形成に活用していく試みである。

都市景観重要建造物の指定
 江東区は、水辺豊かな区の特性を生かすため、建設後50年を経過しているものの中から、以下のような視点で、江東区都市景観審議会で審議された意見を踏まえ、4橋を指定した。
1.地域の歴史的景観を特色付けていること
2.地域のランドマークとしての役割を果たしていること
3.区民となじみが深く、地域のイメージの核となっていること
4.外観・敷地の状況等が建設当時の状態で保存されていること

東京都江東区 都市景観重要構造物

 この4橋は、関東大震災後に震災復興事業により架けられた橋である。架橋からほぼ100年を経過し、多くの震災復興橋が架け替えにより消滅したが、一部の鋼橋が改修や補修を重ね、現在の都市交通を支えている

 また、江東区では、2023年(令和5年9月1日)、大震災から100年の節目の年に、過去の記憶や震災復興橋梁の歴史的価値を広く継承し、防災意識の啓発を図るため、震災復興橋梁の説明看板(15か所)を設置した。

図1 江東区が管理する震災復興橋梁の案内図(令和5年9月1日時点)

大横川に架かる福寿橋

 福寿橋ふくじゅばしは、震災復興事業として1929年(昭和4年9月)に架けられた鋼製の1径間単純ワーレントラス橋である。<文末の(参考)代表的なトラス橋の基本形式を参照>

 橋長:39.1m、幅員:13.5mで、昔風のうぐいす色の塗装が懐かしさをかもし出す。加えて、トラス斜材を補強するジグザク金具はクリーム色に塗り分けられ、お洒落おしゃれな仕上がりである。

写真1 江東区木場公園の東隣に位置する「福壽橋」

仙台堀川に架かる亀久橋

 亀久橋かめひさばしは、震災復興事業として1929年(昭和4年12月)に架橋された鋼製の1径間単純ワーレントラス橋である。

 橋長:34.2m、幅員:17.7mで、濃い藍色の塗装が落ち着いた印象を与える。橋門構きょうもんこう上部には不思議な文様で飾られ、手前の親柱とトラス垂直部材にはステンドグラスの照明が取り付けられるなど、ユニークな装飾が目を引く。

写真2 江東区木場公園の西側に位置する「亀久橋」

大横川に架かる東富橋とうとみばし

 東富橋とうとみばしは、震災復興事業として1930年(昭和5年2月)に架橋された鋼製1径間の典型的な単純プラットトラス橋である。

 橋長:40.5m、幅員:17.6mで、2009年(平成21年)の塗装では深川鼠ふかがわねずみ色に塗り替わった。ワーレントラスとは異なり、斜材が中央に向かって下向きに配置され、いきな深川を演出している。

写真3 富岡八幡宮の南東に位置する「東富橋」

小名木川おなぎがわに架かる萬年橋

 萬年橋まんねんばしは、震災復興事業として1930年(昭和5年11月)に架けられた1径間鋼製の下路式単純タイドアーチ橋であり、タイドアーチリブ上部にトラスを重ねて補強した二重構造が特徴である。

 橋長:56.3m、幅員:17.7mで、モスグリーンの塗装と、両端を切りそろえた二重構造のブレーストリブ・タイドアーチが重厚感を与えている。萬年橋の名前の由来どおり、万年生きるといわれる亀の姿にみえなくもない。

写真4 小名木川が隅田川に合流する手前に架かる「萬年橋」
真5 「萬年橋」のたもとに掲げられた震災復興橋梁の碑

大島川東支川おおしまがわひがししがわに架かる木場橋

 「木場橋」は、震災復興事業として1929年(昭和4年2月)に架橋された1径間鋼製の単純プラットトラス橋である。橋門構きょうもんこうがなく、空が突き抜けてみえるシンプルな構造である。

 橋長:27.0m、幅員:13.3mで、木材の集散地であった木場のイメージに合わせた黒い塗装が、周囲の景観と良くなじんでいる。

写真6 木場親水公園に架かる「木場橋」

小名木川おなぎがわに架かる新高橋

 「新高橋」は、震災復興事業として1930年(昭和5年1月)に架橋された鋼製の1径間単純ワーレントラス橋である。わずかに上弦をアーチ状としたトラス構造である。

 橋長:56.1m、幅員:13.8mである。薄い空色の塗装と相まって、橋門構と上部構造の洒落しゃれたトラス組みが、現代美術館へと至る道にふさわしい。

写真7 東京都現代美術館の北側に位置する「新高橋」

小名木川おなぎがわに架かる西深川橋

 「西深川橋」は、震災復興事業として1930年(昭和5年2月)に架橋された鋼製の1径間単純ワーレントラス橋である。わずかに上弦をアーチ状としたトラス構造は、「新高橋」と同じである。

 橋長:56.1m、幅員:13.9mで、濃紺に塗装されている。なぜか?手前に見える橋名塔はアンモナイト形状をしており、対面にはシーラカンスをモデル化した4mのモニュメントが設置されている。

写真8 清澄庭園の北側に位置する「西深川橋」

震災復興橋梁とは?

 1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、神奈川県西部の深さ23kmを震源とするマグニチュード7.9の地震(大正関東地震)が発生した。
 地震発生が昼時であり多くの火災が発生して被害が拡大し、津波や土砂災害なども重なり、死者・行方不明者は10万5千人余にのぼる。この地震で生じた災害が「関東大震災」と呼ばれている。

 東京市の市街面積の約40%が焼失し、震災前に架けられていた木造橋の65%強、鋼鉄橋の81%強が火災で失われた。当時、鋼鉄橋の橋床は木製であった。

 震災直後、1923年(大正12年9月27日)に帝都復興院が設置され、元東京市長であった内務大臣の後藤新平が総裁に就任し、1924年(大正13年)には内務省外局「復興局」を開設して様々な復興事業が進められた。

 震災から8年という短期間で、東京市には「震災復興橋梁」の架設を復興局が115橋、東京市が310橋を担当し、計425橋が建設された。そのうち208橋は江東区域に架けられたが、その多くは老朽化で架け替えられた。

 隅田川に架設された9橋は、いずれも橋長:100mを超えるもので、先進技術が投入されて様々な型式の橋梁が架設された。一方、脇役である橋長:60m以下の中小橋梁には鋼製桁橋と木造橋が多く架設され、大量生産に向けて一定割合で高欄・親柱・橋燈などの標準仕様化が進められた。
 しかし、残された震災復興橋梁を観て回ると、脇役には脇役なりの個性を持たせた架橋が進められている。

(参考)トラス橋の種類について

 代表的なトラス橋として「ハウトラス」、「プラットトラス」、「ワーレントラス」と発案者の名前を付した3つの基本形式が知られている。それぞれ、斜材に作用する力により区別されている。

 斜材に圧縮力が作用するハウトラス形式は「木造トラス橋」に多く、斜材に引張力が作用するプラットトラス形式は「鋼鉄製トラス橋」に多くみられる。現在では、デザイン性から垂直材を使わないワーレントラス形式が好まれている

 トラス橋を構成する各部材には、軸方向に圧縮力か引張力という単純な力のみが作用し、曲げる力は作用しない特長を有しており、比較的簡単に高精度の構造設計が可能である。

図2 代表的なトラス橋の基本形式


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