7.垂直思考で創造的思考力を伸ばす一京都の行者橋ー
垂直思考で飛び石から桁橋へ
創造的思考力を伸ばすために、水平思考(展開)と垂直思考(展開)について考えてみる。
水平展開とは、対象とする技術や知識などを他の分野や領域に適用することである。一方、垂直展開とは、対象とする技術や知識などを深めてさらに進化させることである。
実際、水平展開として、古くからある「飛び石」に川床を安定化するという新たな効果が見出された例があげられる。
一方、垂直展開として、より多くの人が安全に川を渡るために、「飛び石」を基台とし、板状の石や丸太を上に置いてつなぐことが考えられた。
すなわち、飛び石は、橋脚の原型となり、橋脚の上に橋桁を乗せることで、立派な桁橋が誕生した。
京都の白川に架かる古川町橋(一本橋)
現在の白川は、平安神宮の大鳥居前にある慶流橋で疎水から分岐して南西に下り、街中を通って鴨川に至る川である。
古の白川流域一帯の地質が花崗岩が主体であり、川底の砂が白いことから「白川」と名付けられた。
京都市東山区石橋町で白川に架けられた古川町橋は、市内で最も古いといわれるシンプルな石橋である。
比叡山の千日回峰行を終えた行者が、入洛して報告するために最初に渡る橋と言い伝えられ、行者橋、阿闍梨橋とも呼ばれ、一本橋などの通称がある。
橋が文献に初登場するのは江戸時代で、現在の橋は1907年(明治40年)に架け替えられた。
橋長:12m、白川の中に2本の石柱から成る橋脚が3基立てられて、その上に花崗岩の切石が2列に並べられた全幅:70cm弱の4径間桁橋である。
入手が容易な石材を使い、橋脚を設けることで、より広い川幅に対応した石造りの連続桁橋である。
古の姿を残した橋を、今でも見ることができるのは景観を大切にする京都ならではである。
飛び石からの垂直展開で、一本橋のような連続桁橋が古の時代に生み出されたことは容易に推測できる。当時の人々の創造的思考力による賜物といって良いであろう。
このようなイノベーションは技術革新のみにとどまらず、交通網の整備など社会的意義のある新たな価値を創造することにつながる。
材料と橋の技術革新について
橋梁の発展には、構造材料が大きな影響を与えてきた。古の時代に橋を作るための材料としては、手近にある石、木、蔓などが用いられたが、入手できる材料の特性とその寸法は橋の発展に大きな影響を与える。
石や木を渡した橋のことを桁橋、蔓を渡した橋は吊橋と呼ばれている。現在の橋は、いずれも古の構造材料を大きく進化させたものが使われている。
ところで、マグマが冷えて固まったり地中深くで押し固められた石は重く、圧縮力には強いが曲げ力や引張力には弱いが。水や火に対する耐久性は優れている。一方で、風雪に鍛えられた木は軽く、曲げ力や引張力に強いが、水による腐食や火災には弱い。
花崗岩で構成された京都白川の一本橋は、耐久性に優れているため大掛かりな補修は行われていない。しかし、自重が重くて、曲げ力や引張力には弱いため、全長:12mを一本の石橋とせずに、3基の橋脚を立てて途中を支え、人が一人通行できる幅に抑えた。
当然のことであるが、次に出てくる課題は、入手可能な構造材料でより多くの人が渡れる橋を架けることである。
白川に架かる古門前橋
一本橋の上に立ち下流方向を眺めると、50mほど先に浄土宗総本山知恩院の総門(古門)の門前通りに架かる古門前橋を臨むことができる。橋のたもとには親水テラスが設置された良い景色である。
シンプルな一本橋と比べると、古門前橋は中央部が反り上がった剛直な石橋である。知恩院に至る華頂道にあたる2車線の自動車道路で、橋長:17m、全幅:7mの4径間鉄筋コンクリート(RC)桁橋である。また、高欄には石材が使われている。
1935年(昭和10年)に架け替えられた古門前橋は老朽化のために、2017年(平成29年)~2018年(平成30年)にかけて、老朽化修繕工事及び耐震補強工事 が行われた。舗装工事では自然石を用いつつ、大型車の通行にも耐える特殊な工法により風情ある 石畳が再現された。
中央部分の橋脚には「正徳年間創設」や「施工者辰巳松五郎」 (推測)の文字が彫られており、江戸時代の正徳年間(1711 年~ 1716年)に架橋されたと考えられる。
鎌倉時代の1212年、浄土宗開祖の法然が入滅した後、知恩院の地に廟が建てられた。華頂道に位置する古門前橋は、一本橋のような生活橋とは異なり、一度に多くの人が渡れるよう、幅を広げて架橋されたであろう。
古の時代、一本橋と同じ石材を使うとしたら、橋桁となる石材の厚さを十分に厚くする必要がある。現在の古門前橋は鉄筋コンクリート製であるが、その重厚感は残されている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?