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43.吊橋に起きたイノベーションー英国メナイ橋


吊橋に起きたイノベーション

 当初は技術的な問題もあり、架橋は中小河川に限定されていた。その後、産業・交通の発展に伴い大河川を渡る橋の必要性(需要)が高まり、様々な”橋の形式””構造材料”の開発が進められた。

 19世紀に入ると、交通機関の発展と経済性の追求から、大河川に加えて海峡、湾岸、湖など長いスパンを渡る橋の需要が急速に高まる。従来から主に船舶が使われてきたが、代替である道路・鉄道橋の登場に期待が集まった。

 アーチ橋のさらなる長大化を可能とした”高強度鋼”の開発は、進歩が停滞していた吊橋(Suspension bridge)のイノベーションへの引き金となる。 吊橋の長大化は自重との戦いであり、主塔から張った高強度鋼製ケーブルで橋桁を吊る橋梁形式が実現される。

メナイ海峡に架けられたメナイ吊橋

 英国北ウェールズのアングルシー島と本土との間のメナイ海峡に架かる「Menai suspension bridge(メナイ吊橋)」は、橋長:417m、幅員:12m、水面からの高さ:約30mで、中央径間:176mの錬鉄製(現在は鋼鉄製)チェーン吊橋である。

 高さ:46.6mの2つの主塔で構成される吊橋と、吊橋の両側に架設された3径間と4径間のアーチ橋は、Penmon(ペンモン)産の 石灰岩で建設され、その内部は隔壁を備えた中空構造である。

 土木技師Thomas Telford(トーマス・テルフォード)による設計で、1819年8月に着工し、1826年1月に開通した。橋の設計はテルフォードが海軍の要求に応えたもので、帆船が橋の下を通過できるように水面から30mの高さに架橋された。

 未だ鋼製ケーブルが実用化されていない時代である。メナイ橋の特徴は、両端に孔のあいた細長い錬鉄製のアイバーを、ピンでつないだチェーンをメインケーブルに採用した点にある。

 ピン結合のチェーンを使うことで、ロープのように美しい懸垂線を描くことができた。独創的な思考でたどり着いたチェーン吊橋であるが、チェーン自体が重いという難点があった。 

写真1 メナイ吊橋のペルモン石灰岩製主塔とチェーン構成のメインケーブル

チェーンをメインケーブルに採用

 18世紀末に入り、鋳鉄よりも引張強度に優れた錬鉄の大量生産が行われ、「メナイ橋」のような長大吊橋の建設が始まる。

 両端に孔のあいた長さ:2.9mの錬鉄製のアイバー935本が用意され、ピンで結合されて巨大なチェーン16本が製造された。チェーンには製造時から錆びを防ぐため、亜麻仁油に浸された後に塗装が施された。

 チェーンの全長:522.3m、重量:121トンで、その端部は両岸の固い岩に固定され、吊り上げ力は2016トンと計算された。使用された鉄材の総重量:2187トンである。後に、錬鉄製のチェーンは鋼鉄製に交換された。

写真2 アイバーをピンでつないだチェーン方式のメインケーブル

メナイ吊橋の修復の歴史

 1826年1月にメナイ吊橋は開通したが、その後、長年にわたり何度も改造され、再建されてきた。しかし、トーマス・テルフォードによる元の設計意図(アイバーチェーン吊橋)を大きく変えることはなった

 建設当初の道路幅は 7.3mで、橋床をトラスで補強しなければ風で不安定となることが分かり、1840年、W. A. Provis(プロビス)により補強された。  
 また、1893年には、Sir Benjamin Baker(ベンジャミン・ベイカー)の設計により、木製床版が鋼鉄製の橋床に交換された。

 1936年1月、暴風による被害を受けて通行止めとなり、輸送業界からの重量制限4.5トンの改善要請もあり、架け替えの検討が行われた。最終的には、「メナイ橋」を保全することで工事は進められることになった。

 1938 ~1941年、橋を閉鎖せずに錬鉄製のチェーンが鋼鉄製のチェーンに交換された。増え続ける車両の体積と重量の増加への対応である。

 1999 年、橋を 1 ヶ月ほど閉鎖し、道路の再舗装と橋床強化が行われた。

 2005年2月、メナイ橋はユネスコ の世界遺産の候補になった。同年3月、65年ぶりの再塗装プロジェクトが開始された。

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