1.年の初めのためしとて―皇居二重橋
二重橋濠に架かる「皇居正門鉄橋」
「二重橋」とは、東京都千代田区皇居外苑の二重橋濠に架かる「皇居正門鉄橋の通称である。
恒例の新年一般参賀では「皇居正門石橋」を渡り、皇居正門を通り抜けて右に大きく回り込み、「皇居正門鉄橋」を渡り、長和殿へと向かう。途上の正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても「二重橋」の名称は使われている。
「皇居正門鉄橋(初代)」は、橋長:24.2m、幅員:10.2mであった。水平な橋桁をアーチで支える形式で、逆ローゼ橋とも呼ばれている。1886年(明治19年10月)に着工し、1888年(明治21年10月)に竣工した。
当時在日していたドイツ人のWilhelm Heise(ウィルヘルム・ハルゼ)の設計により、ドイツのHARKORT(ハーコート)社で鋳造され、オランダ人のStorne Brink(ストルネ・ブリンク)が架橋を請け負った。
「皇居正門鉄橋(初代)」は関東大震災にも耐えたが、耐荷力向上のため1964年(昭和39年6月)に、同じデザインで現在の「皇居正門鉄橋(二代目)」に架け替えられた。橋長:25.5m、幅員:10m(車道8m+歩道1m×2)の上路式アーチ橋で、新橋の強度設計は東京大学教授平井敦、意匠設計は旧橋のイメージを保持しつつ、東京芸術大学名誉教授内藤春治の指導で行われた。
基礎工事にはニューマチックケーソン工法が採用され、橋体形式は3ヒンジアーチから2ヒンジアーチへ、材料は錬鉄から耐候性高張力鋼、亜鉛溶射による防錆技術が導入された。継手はリベットから溶接、現地継手は打ち込み式テーパーボルトに替えて高力ボルト摩擦接合が採用された。1963年(昭和38年5月)着工し、1964年(昭和39年5月)竣工した。
ところで、「皇居正門鉄橋」の位置に最初に橋が架けられたのは、1614年(慶長19年)で木造橋であった。江戸城西の丸の手前に位置し、登城する大名は馬や駕籠から降りる”しきたり”であり、「西の丸下乗橋」と呼ばれた。
濠の水面からの高さが約20mにもなり、直接に橋脚を立てて架橋するのが困難であった。そのため、一段下に石垣を張り出して補強用の橋桁を架け、その上に6列の橋脚を立てて橋桁を渡す二重構造の橋とした。橋脚の一部は斜材で補強されており、上下両方の橋桁を渡ることができたため「二重橋」の名称の由来となった。
二重橋濠に架かる「皇居正門石橋」
「皇居正門石橋」は、橋長:35.3m、幅員:12.8mの2径間石造アーチ橋である。1886年(明治19年4月)に着工、1887年(明治20年12月)に竣工した。俗称で眼鏡橋とも呼ばれている。
皇居造営事務局の技手で土木技術者の久米民之助が設計し、欄干の装飾は河合浩蔵による。岡山産の大島花崗岩造りで、高欄は高さ114cm、親柱は高さ174cm、6基の親柱の上には青銅鋳造の飾電灯が設置された。
ところで、「皇居正門石橋」の位置に最初に橋が架けられたのは、1624年(寛永元年)とされる。江戸城西の丸の大手門(正門)前に架設された木造橋で「西の丸大手門橋」と呼ばれた。
ネオ・バロック様式が美しい飾電燈
1888年(明治21年)、「皇居正門石橋」の6基の親柱の上に、河合浩蔵のデザインによる飾電燈が、東京電燈会社により設置された。しかし、電燈の安全性の議論などから点灯は見送られ、正式に点灯が開始されたのは1893年(明治26年)からで、 電気は麹町の東京電燈第一電燈局から供給された。
以後、90年以上にわたり「皇居正門石橋」を照らしてきたが、1986年(昭和61年)の設備更新に際して飾電燈も新造された。すなわち、旧飾電燈から鋳型を取り、同型で鋳造し直された。
「皇居正門石橋」の親柱の上には高さ:2.7mの青銅鋳造の飾電燈が設置されている。ドイツのハーコート社製で、全体が植物意匠のネオ・バロック様式で飾りつけられている。
基台に立てた主幹の頂上に1灯、主幹から分かれた4本の枝にも1灯づつ卵型の電灯が吊り下げられている。
旧飾電燈は、皇居東御苑の二の丸庭園、東京電力の電気の資料館、東京都小金井市の江戸東京たてもの園に展示されている。
一方、愛知県犬山市の博物館明治村にも異なった旧飾電燈が移設され、国の登録有形文化財として保存されている。これは「皇居正門鉄橋」の両端に並んだ4基の旧飾電燈であり、そのうちの一つが移築されたものである。
「皇居正門石橋」の親柱の上に設置された飾電燈と、「皇居正門鉄橋」に設置された飾電燈は寸法・装飾が異なっている。しかし、宮内庁が1886年(明治19年)にドイツのハーコート社に発注し、1888年(明治21年)に竣工したもので、同時期に製造された。
「皇居正門鉄橋」の旧飾電燈は、上野の東京芸術大学陳列館の前にも展示されている。高さ5.1mの青銅鋳造製で、「現在の二重橋・飾燈・橋欄は昭和三十七年(1962年)に内藤春治名誉教授の意匠設計及原型製作にかゝるものである。」と銘板に記されている。
二重橋の歴史
1614年(慶長19年)、江戸城西の丸が改修された際に7径間の木造橋「西の丸下乗橋」が架けられた。擬宝珠付きの高欄で、長さ:96尺(29m)、幅:22尺(6.7m)であった。
1624年(寛永元年)、江戸城西の丸に、7径間の木造橋の「西の丸大手門橋」が架けられた。長さ:140尺(42m)、幅:25尺(7.6m)であった。
1700年(元禄13年8月)と1809年(文化6年4月)に「西の丸下乗橋」の架け替えの記録が残る。
1887年(明治20年12月)、「西の丸大手門橋」が、花崗岩製のアーチ橋「皇居正門石橋」に架け替えられた。
1888年(明治21年10月)、「西の丸下乗橋」が「皇居正門鉄橋」(初代)に架け替えられた。
1964年(昭和39年5月):皇居宮殿(新宮殿)建設を前にして、旧橋と同じデザインで現在の「皇居正門鉄橋」(二代目)に架け替えられた。
付録:皇居東御苑二の丸庭園の池で泳ぐ「ヒレナガ錦鯉」
「皇居東御苑」は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので、1968年(昭和43年)から公開されている。ただし、新年一般参賀の当日は皇居東御苑は休園である。
皇居東御苑で興味深いのは二の丸庭園の池をゆったりと泳ぐ錦鯉で、通常の錦鯉に比べて、尾ビレ、胸ビレなど、ヒレというヒレが2~3倍長い。泳ぐ姿は、十二単をまとった宮中の女官を彷彿とさせる優雅な美姿が目をひく。
埼玉県水産研究所によると、魚類学者の上皇さまが1977年(昭和52年)に研究所の前身をご視察の折、「インドネシアにヒレの長いコイがいるので、取り入れることで優雅なニシキゴイができるのでは」と提案され、交配を繰り返して「ヒレナガ錦鯉」が生まれた。
今ではヒレナガ錦鯉の模様や色も多様となり、研究所では10種類に分類しているとのこと。
東御苑を訪れる人々が楽しめるようにと、上皇さまが上皇后さまとご一緒に3回にわたりヒレナガ錦鯉を、二の丸庭園の池に放流された。