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45.1000m超えの長大吊橋への挑戦ー尾道大橋とささやき橋


長大吊橋について

 「吊橋」(Suspension bridge)は、アンカーレッジから主塔へと空中に張り渡したメインケーブルから、サスペンダーケーブルを垂直に垂らして、橋桁を吊る構造が基本である。ケーブルに自重のみが作用する場合の曲線をカテナリー(Catenary)または懸垂曲線と呼び、吊橋の流麗な美しさはこのカテナリーによる

 メインケーブルは、橋の両端に設置された巨大なコンクリート塊のアンカレイジ(Anchorage)に固定され、橋に加わる荷重と自重により引張力が働いている。一方、主塔にはメインケーブル、サスペンダーケーブル、橋に加わる荷重と自重を合計した圧縮力が働いている。
 構造的には、引張力が働く部材と圧縮力が働く部材に役割り分担ができており、構造材料の適材適所を進めることで長大橋の実現を可能とした。

 一般的な吊橋は、側径間がなく中央径間をサスペンダーケーブルで吊るものが「単径間吊橋」、側径間と中央径間をサスペンダーケーブルで吊るものが「3径間2ヒンジ吊橋」である。また、橋桁が連続のものは「連続吊橋」と呼ばれている。

 一方、主塔の両側に設置されたアンカレイジにメインケーブ ルを固定する有碇ゆうてい式吊橋」(Anchored suspension bridge)に対して、アンカレイジを設置せずメインケーブ ルを橋桁の端部に固定する自碇じてい式吊橋」(Selfanchored suspension bridge)がある。

 自碇式吊橋は、巨大なアンカレイジを設置する必要がなく、一体構造のため耐震性にも優れているが、構造的には橋桁にも大きな圧縮力が働き、架橋工事が難しく、工事費も高くなるために長大化の例は少ない。

図1 一般に吊橋といえば有碇式吊橋を指し、自碇式吊橋の採用例は少ない

斜張橋とは?

 斜張橋しゃちょうきょう(Cable-stayed bridge)は、主塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造である。ケーブルを利用して吊っていることから、広い意味では吊橋の一種である。しかし、土木工学上では吊橋とは明確に区別されている。
 斜張橋は、吊橋に次ぐ支間長(スパン、塔と塔の間隔)を得られる。

 構造的に吊橋と斜張橋が大きく異なるのは、斜張橋が主塔と主桁をケーブルで直結しているのに対し、吊橋は主塔の間に渡したメインケーブルから垂らしたサスペンダーケーブルで主桁を吊る点である。
 そのため、斜張橋では主桁に掛かる力は垂直方向のケーブルによる引張力に加えて圧縮力が作用する。しかし、斜張橋では主桁に作用する力を主塔の左右でバランスさせるため、アンカレイジは必要ない

 メインケーブルには引張強度に優れた鋼線が使われるが、主塔と主桁は圧縮応力に強い鋼製あるいはコンクリート製の使用が可能である。プレストレスコンクリート(PC)斜張橋は鋼斜張橋に比べ維持管理が容易で、橋全体の重量、剛性、減衰率などが大きいため風に対する安定性に優れ、現在では多用される傾向にある。

 斜張橋はケーブルの張り方から、塔の先端で全てのケーブルをまとめた放射型(ラジアル型)、少しずつずらしたファン型、ケーブル同士が平行に張られたハープ型などに分類される。長大橋ではファン型と並んでハープ型の斜張橋が多くみられる。
 また、主塔を1本しかもたず、片側からのみ吊る片持ち型も見られる。

 斜張橋は吊橋に比べて少ない構造材料で架設でき、ケーブルの張り方で多様な表現が可能である。しかし、構造解析が複雑であるため小規模な橋梁への適用に留まっていた。20世紀末からコンピュータによる構造解析技術の進歩により、長大橋への採用が広まっている。

図2 代表的な斜張橋の形式

長大吊橋への挑戦

 19世紀に入ると構造材料のイノベーションが進み、長大吊橋への挑戦が英国で始まり、米国において飛躍的な発展を遂げた。

 まず、英国では土木技師Thomas Telford(トーマス・テルフォード)による設計で、北ウェールズのアングルシー島と本土との間のメナイ海峡に、「Menai suspension bridge(メナイ吊橋)」が、1826年1月に開通した。  
 橋長:417m、幅員:12m、水面からの高さ:約30mで、中央径間:176mの錬鉄製チェーン吊橋である。

 その後、米国では、細い鋼線をって束ねたワイヤーロープを発明・事業化したJohn A. Roebling(ジョン・ローブリング)が、より高強度で鋼製の撚り合わせのない平行線ケーブルを発明し、1855年3月に「Niagara falls suspension bridge(ナイアガラ・フォールズ吊橋)」をナイヤガラの滝の4km下流に完成させた。
 当初、中央径間:251mの木造鉄道橋であったが劣化が進み、1886年までに鋼製鉄道橋に改修された。1897年には鋼製アーチ橋に架け替えられた。

 その後、ジョン・ローブリング親子は、1883年にニューヨーク市のマンハッタンとブルックリン間のイースト川に架かる長大吊橋「Brooklyn bridge(ブルックリン橋)」を、13年の歳月をかけて完成させた。

 橋長:1825.4m、中央径間:486.3m、幅:25.9m、高さ:84.3m、桁下高さ:41.1mの、吊橋と斜張橋の複合橋梁である。鋼製の平行線ケーブルを使い、石積みの主塔基礎の掘削には、欧州で開発されて間もない潜函工法(ニューマチック・ケーソン)が採用された。 

写真1 イースト川下流からブルックリン橋を臨む、背景に見えるのはマンハッタン橋

 ブルックリン橋の成功により、20世紀に入ると米国を中心に、中央径間が1000mを超える長大吊橋の架橋が本格化する。

 1931年にニューヨーク市のハドソン川に架けられたGeorge washington bridge(ジョージ・ワシントン橋)は中央径間:1067m、1937年にサンフランシスコ湾に架けられたGolden gate bridge(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)は中央径間:1280mである。

タコマナローズ落橋事故による耐風設計技術の向上

 1940年11月、ワシントン州のピュージェット湾口に開通したTacoma narrows bridge(タコマナローズ橋)が、強風の影響で落橋した。
 Leon S. Moisseiff(レオン・モイセイフ)の設計により、1940年7月に完成した橋長:1600m、中央径間:853m、幅:11.9mの3径間吊橋である。

 完成直後から風による上下動が大きいため、解析と補強方法の検討が進められていた。しかし対策は間に合わず、設計耐風速を大幅に下回る風速:19 m/sの横風を受け、橋桁が上下動から大きなねじれ振動に変わり、1時間ほど続いた後に橋床が落下した。
 原因は、橋桁の形状が風圧を受けやすく橋桁の薄さと幅員が狭いために剛性が不足し、自励振動で振幅が増大して崩壊に至ったとされる。

 落橋の経験を生かして、1950年10月、新しいタコマナローズ橋が架橋された。橋長:1822m、最大スパン:853m、幅:約20m、海面からの高さ:57.15mの、3径間連続補鋼トラス吊橋である。

 以後、多くの長大吊橋には、橋桁補強のため補剛トラスが備わることになり、桁断面の形状を翼状にして風の影響を抑制するなどの対策が施された。 

鋼製メインケーブルの引張強度向上

 20世紀後半から、中央径間が1000mを超える長大吊橋の架橋が、世界中に急速に拡大する。

 例えば、1981年に英国イングランド北東部のハンバー川に架けられたHumber bridge(バンバー橋)は中央径間:1410mである。1998年に日本の明石海峡に架けられた明石海峡大橋は中央径間:1991mである。最近では、2022年にトルコ西部のダーダネルス海峡に架けられたチャカレッタ1915橋は中央径間:3563mである。

 このような長大吊橋の実現には、メインケーブルの引張強度の向上が大きな影響を及ぼした。

 1883年に架橋されたブルックリン吊橋には引張強度:112kgf/mm2の鋼製ケーブルが使われた。1981年に架橋された英国のハンバー橋には引張強度:160kgf/mm2の鋼製ケーブル、1998年の明石海峡大橋には引張強度:180kgf/mm2の鋼製ケーブルが、それそれ開発され採用された。

 国内における長大吊橋の架橋は、第二次世界大戦後に欧米の技術をキャッチアップすることで加速された。
 日本道路公団により、1962年には北九州市洞海湾に架かる戸畑区と若松区を結ぶ若戸大橋(中央径間:367m)、1973年には下関市と北九州市門司区の間の関門海峡に架かる関門橋(中央径間:712m)が設置された。

 その後、本州四国連絡橋公団により本州四国連絡橋が建設され、1988年に児島・坂出ルート(吊橋3橋、斜張橋2橋、トラス橋1橋)、1998年に神戸・鳴門ルート(明石海峡大橋(中央径間:1991m)など吊橋2橋、斜張橋1橋)、1999年に尾道・今治ルートの道路・鉄道橋(尾道大橋と新尾道大橋(中央径間:215m)など吊橋5橋、斜張橋4橋、アーチ橋1橋)が相次いで開通した。

 一方、橋桁補強のため補剛桁には、トラス構造が多く採用されてきたが、1966年に完成した英国ブリストル近郊のセバーン橋(中央径間:988m)には、偏平の流線型断面の箱桁が採用された。
 国内では1988年(昭和63年)の本州四国連絡橋尾道・今治ルートの大島大橋(中央径間:560m)、1998年(平成10年)の北海道白鳥大橋(中央径間:720m)に流線型箱桁が採用された。 

斜張橋への挑戦

 20世紀に入ると欧州を中心に斜張橋の架橋が始まるが、本格的な架橋は第二次大戦後であり米国から世界へと広がる。斜張橋の発展にも高強度の鋼製ケーブルの開発が多大な影響を与えた。

 1920年代、英国のツィード川 とフランスのザール川に相次いで架けられた のが斜張橋の最初といわれているが、構造解析が不十分なためか2橋ともに落橋したため普及には至らなかった。

 1957年8月、ドイツ西部のデュッセルドルフ市を流れるライン川に、橋長:1270.9m、中央径間:260m、幅:26.6mの3径間斜張橋「Nordbrucke dusseldorf(デュッセルドルフノルト橋)」が架けられ、世界中に広まる。

 1962年8月、ベネズエラ西部のマラカイボ湖のタブラソ海峡出口に「General Rafael Urdaneta Bridge(ラファエル・ウルダネタ橋)」が完成した。イタリアの土木技師Ricardo Morandi(リカルド・モランディ)の設計で、径間数:135、橋長:8700m、主径間:235m×5、幅員:14.2m、主塔の高さ:92.5mで、長い連続桁橋と5径間からなる連続斜張橋は、その後の長大斜張橋の端緒となる橋として評価されている。

 国内でも、1968年3月に開通した「尾道大橋」は3径間放射形斜張橋で、橋長:386m、中央径間:215m、幅:約8m、主塔高さ:76mである。1999年5月には、並走する「新尾道大橋」が開通した。橋長:549m、中央径間:215m、幅:14m、主塔高さ:78.3mの5径間ハープ型斜張橋である。

 1989年9月に開通した「横浜ベイブリッジ」3径間ファン型斜張橋で、橋長:860m、中央径間:460m、幅:40.2m、主塔高さ:172mである。
 1999年5月に開通した本州四国連絡橋尾道・今治ルートの多々羅大橋は、当初は吊橋で計画されていたが、途中で3径間ファン型斜張橋に変更された。橋長:1480m、中央径間:890m、幅:19m、主塔高さ:220mである。

 近代的な美しさと多様性に富む斜張橋は、中央径間が1000mを超えるものが中国やロシアで架設されている。今後も多くの歴史に名を刻むであろう。

写真2 瀬戸内海に浮かぶ向島と本州を結ぶ尾道大橋と並走する新尾道大橋

鞆の浦の「ささやき橋」

 一方、尾道市の東に隣接する福山市ともの浦には、静観寺門前にわずかに盛り上がる小さな橋がある。「ささやき橋」と呼ばれる石造り扁平アーチ橋である。橋長:約1m、幅:約3mの小さな橋には、1500年以上も昔の悲恋の伝説が刻まれている。

【ささやき橋伝説】
 応神天皇の頃、百済よりの使節王仁博士わにはかせの接待役・武内臣和多利たけのうちのおみわたと官妓・江の浦えのうらは、役目を忘れて、毎夜、この橋で恋を語り合いました。
 それが噂になり二人は海に沈められました。それから密語ささやきの橋と語りつがれています。

静観寺前の説明板より

 「日本書紀」によると、王仁博士は応神天皇15年に百済より来日し、「古事記」によると、論語と千字文を日本にもたらしたとされ、日本に儒教と漢字を持ち込んだ最初の人物とされる。

 「ささやきの橋」は、1100年頃までは鞆の浦の入江に架かる長い橋であったが、1640年頃に「ここに橋のあったことを後世に伝えたい」と石で橋を架け直し、1683年頃には現在の小さな橋となった。残す文化も大切にしたい。

写真3 長い歴史を語る鞆の浦の小さな「ささやき橋」

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