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2.橋の起源について

 橋とは、「交通路・水路などが、河谷・くぼ地その他、これら道路の機能を阻害するものに突き当たった場合に、これを乗り越える目的をもって造られる各種の構造物」と、土木学会編纂『土木用語辞典』に定義されている。
 古(いにしえ)の時代に、水に濡れずに河川、湖沼などを渡るという問題を解決するために、人類が考え出したアイデアである。

 橋の起源に関しては、川を渡るために飛び石を利用したり、川をまたいだ風倒木の上を動物が渡るのを見て考え出された。また、猿の群れが深い谷を渡るときのモンキーブリッジを見て、谷を渡る方法として考え出されたなどの諸説がある。
 いずれも想像の域を出ないが、人類が自然の中で情報を収集し、橋というアイデアを見つけ出したことは間違いないであろう。これを積極的に発展させて利用したのが、石橋、板橋、吊橋へと発展したと考えられる。その背景には、川や谷を渡る必要性があったことはいうまでもない。

 森林が豊かな国内では、桁橋(けたばし)の原型である丸太橋が先行して広がった。丸太橋を人が渡るためには、人の体重に耐える強さの丸太を使う必要がある。細いと渡る途中で丸太が折れるであろうし、太すぎると橋を架けるのに多大な労力を要する。
 現在であれば材料/構造力学を使い、最適な丸太の直径と長さを計算することは簡単であるが、古の時代においては試行錯誤で架橋が進められた

 実際に丸太橋を適用するために、多くの改良改善が行われた。例えば、一度に多くの人が橋を渡れるように、丸太を横に並べて幅を広げる工夫がなされた。また、より広い川幅を渡れるように、飛び石と飛び石の間に丸太橋を架ける連続丸太橋の工夫も行われた。
 さらには、丸太橋の両端をしっかりと固定することで、耐荷重レベルを上げられることにも気が付いたであろう。

 このように橋という概念の発見・発明は、自然に学び、試行錯誤することで進められてきた。その後も、多くの情報を得た人類が新たに発見・発明を繰返すことで、イノベーションを起こしたことも容易に想像できる。
 繰返しイノベーションを起こすための原動力は、橋の必要性(需要)の高さであったと考えられる。

写真2 東京都文京区の「小石川後楽園」は、池が中心の回遊式築山泉水庭園で、1629年に水戸頼房・光圀により造られた。造園には明の遺臣である朱舜水の意見が取り入れられ中国風情が取り入れられている。円月橋、通天橋は固有名詞で、その他は一般の呼び名である。八つ橋(継橋)は浅瀬を選んで杭を打ち、板を渡した橋なのでジグザクになっている。アヤメに八つ橋は良く似合う。


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