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4.創造的思考法に磨きをかけるには

 創造的思考を実現するには、右脳が持つ直感や無意識の感性を用いて新しいアイデアを導き出すこと、左脳が持つ客観的事実に基づいて合理的に事象を組み立てる論理的思考とを、バランスよく繰返すことが必要である。

 言葉で示すことは簡単でも、これを実現することは難しい。どのようにアイデアを導き出し、どのように事象を組み立てるのか、具体的な方法が常人じょうじん凡人ぼんじんかも)には見えてこない。しかし、何ごとにも原理・原則がある

 まず、①問題は何かを明らかにする。その後、②広く関連する情報を収集し、ストーリーを組み立てる。その過程において、③何がポイントかを読み取る。④そして考える。通勤中も、食事中も、寝ながらも……。そうするとアイデアが湧いてくる。⑤そのアイデアを試すと、大抵の場合はたいしたことがないと気付く。そのため、再び考える。これを繰返すことで、練り上げられた答えにたどり着くことができる。


【第1ステップ】問題は何かを明らかにする

 問題を把握することは以外と難しい。優秀な人、親切な人は、自分なりに考えた最終段階のアイデアを提供してくれる。しかし、何のために、何が問題かの大枠を自分で認識する必要がある。これが逆戻りせずに、問題を把握する重要なポイントである。
 多くの無駄は、何が問題かを自分自身で確かめなかったことで生じることが多い。時間をかけて何が問題かの大枠を決めれば、気になる情報や興味ある技術などを意識して集めることができる。

*江戸時代、加賀藩は参勤交代の経費節減の問題を抱えていた。大名行列の人数は3000人前後で、メインルートは北国下街道(金沢-富山-上越-長野-信濃追分)を経由して中山道(軽井沢-高崎-大宮)で、江戸までの全行程480kmを12泊13日程度で歩くのである。

【第2ステップ】 広く関連する情報を収集し、組み立てる

 人によって得意・不得意はあるが、問題に関わる情報収集を愚直に進める必要がある。しかし、先入観が幅広い情報の収集を疎外し、スト-リ-をねじ曲げる。多くの専門家からも情報収集すべきであるが、人からの情報収集にはその人の主観が入っていると考えて十分に注意する。
 自分が納得できるまで情報を収集する。頭の中で、おぼろげながらでも点の情報が線となり、面となってストーリーになるまで調べる。調べる。そして組みたてる。情報はアイデアの種である。

*加賀藩100万石の体面を保つため人数は減らせず、行程の短縮化に絞り込まれた。実際に、越中、越後、信濃には暴れ川あばれがわ親不知おやしらず子不知こしらずなどの難所で大幅に道中が延長されたことがある。そこで、領内である黒部川に外作事奉行そとさくじぶぎょうは出かけて、情報収集を実施する。

【第3ステップ】何がポイントかを読み取る

 多くの情報の中から、従来の延長線上にない光るポイントをみつける。このポイントをしっかりと読み取るには、感性と経験がものをいう。情報は多くても、骨となる要因、本質はわずかである。
 しかし、そのわずかな本質を選び出すことが難しい。常人には、この本質がなかなか見えてこない。見えないポイントは、多くの人との議論や意見交換で見えてくることがある。自分の専門外のことは、その筋の専門家に聞くことで、常識と非常識のラインが明らかとなり、脱常識、すなわち光るポイントが見えてくる。

*北アルプスを源とする日本屈指の急流河川である黒部川は、山間地を抜けると、宇奈月町愛本を扇頂とする広大な扇状地を形成する。さひとたび豪雨になると「あばれ川」と化して氾濫し、川筋も一筋に定まらず、幾筋にも分かれて流れ通行を妨げていた。

 問題を決めて、情報を集め、ポイントを把握した後は、とにかく考えることである。磨き上げるといっても良い。新しいアイデアを生み出すことである。不思議なことに、真面目に一生懸命に考えている時は、大抵何も浮かんでは来ないが……。残念ながら、この発想には定石はないようで、出てくるアイデアは個人のひらめきと直感による。
 一晩考えて出てくるようなアイデアはたいしたことはない。むしろ、期限ぎりぎりで切羽詰まった状態で、散歩中などに無意識に出てくるアイデアが本物のことが多い。とにかく、いろいろな仮説を考える。一点のアイデアが出たら、どんどん連想して膨らませる

「ならば、扇頂部に橋を架けては?」と思いつく。ジャストアイデアである。しかし、現地調査で見たものは深い谷と、谷底を流れる急流であった。対岸との距離はおよそ60m、川面から15mの位置に橋を架ける必要がある。
 急流のため、川中に橋脚きょうきゃくを立てることができない。外作事奉行は、参考となる架橋かきょう例はないか全国調査を再開した。 

【第5ステップ】アイデアを試してみる

 出てきたアイデアは、即、記録し、試す。自分で試して確認する。これが原則である。良いアイデアが出た時は、夜の明けるのが待ち遠しくなる。しかし、アイデアは記録しないとすぐ忘れてしまう。忘れたアイデアは逃がした魚と一緒で、二度と思い出せない場合が多い。
 しかし、大抵は一度のアイデアで問題が解決できることはない。経験を積むほど、裏目を同時に見ることが出来るようになり確度は上がる。確かなアイデアが確認できたら、それを核にしてさらに膨らませるのである。

*全国調査の結果、刎橋はねばし形式の「甲斐の猿橋かいのさるはしが参考となることが分かった。外作事奉行は、参勤交代の大人数が渡れるよう、猿橋を参考にして大規模化の設計を進めた。併せて、杉、けやきひのきなど構造材料の調達、架橋のための大工、設置のための岩盤の掘削などの調査を実施し、アイデアの実現可能性を見極めた。

 上記の創造的思考法の手順は、一例と考えて良い。重要なことは情報の収集と咀嚼そしゃくであり、自分に適したアイデアや発想の仕方を作りあげることにある。重要なのは、そのことに早く気付くことである。
 自分なりの思考法について常に意識することが重要である。成功した時の経験則と得られた充実感が、次の仕事を成功に導くエネルギーとなる。人は調子に乗れば情熱が湧き、意欲が高まり、良い結果が出る。この成功のサイクルに入ることが重要で、その手順を忘れないことである。

 富山駅から”あいの風とやま鉄道線”で魚津駅に行き、”富山地鉄本線”に乗り換えて新魚津駅から愛本駅まで約1時間半です。愛本橋の跡地までは徒歩10分ほどで到着しました。
 その昔、刎橋はねばしは加賀・越中・信濃・飛騨・木曽など国内各所において架橋されましたが、最大級のものは富山県宇奈月町の黒部川扇状地の扇頂部に1662年に架けられた越中の愛本橋えっちゅうのあいもとばしです。江戸時代に架橋された甲斐の猿橋かいのさるはし周防の錦帯橋すおうのきんたいきょうと並び日本三奇橋の一つといわれています。
 加賀藩五代藩主の前田綱紀のさしずを受けて外作事奉行の笹井正房が架橋しました。文久3年(1863年)に架け替えられた最後の橋が、明治2年(1889年)に解体された折の記録では、全長61.4m、中央幅3.63m、両端部幅7.26m、水面からの高さ15m程度で、刎木はねきは6列6層で構成されていました。
 1891年に愛本橋は木造アーチ橋に架け替えられ、1972年には65mほど下流のニールセンローゼ鋼橋に架け替えられています。現地には旧愛本橋の跡地であることを示す案内板が残されているだけです。近隣のうなづき友学館には、旧愛本橋の1/2復元模型が展示されていました。

脱炭素技術センター


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