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48.”阪神・淡路大震災”で橋長が1m伸びたー明石海峡大橋


明石海峡あかしかいきょうを横断する明石海峡大橋

 兵庫県神戸市垂水たるみ区東舞子町と淡路島岩屋に挟まれた明石海峡には、「明石海峡大橋」が架けられている。橋長:3911m(中央支間長:1991m、両側径間:960m)、幅員:30m、主塔高さ:298.3m、桁下高さ:65m、鋼重量:13.62万トンの鋼製の長大吊橋である。

 本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋の3ルートの一つで、神戸市と鳴門市を結ぶ全長:89kmの「神戸・淡路・鳴門自動車道」の一環として整備された。淡路島と鳴門市に挟まれた鳴門海峡には「大鳴門橋」が架けられている。

 「明石海峡大橋」は、本州四国連絡橋公団の土木技師である加島 聰かしま さとしが主任設計者で、1988年(昭和63年5月)に着工し、1998年(平成10年4月)に完成した3径間2ヒンジ補剛トラス吊橋である。

 本州四国連絡橋公団が、ジョイントベンチャー(JV)7社に発注し建設された。①川重・住重・JFE・三井・川田JV、②川田・日立・滝上・高田・片山JV、③新日鉄・神鋼JV、④三菱・IHI・日立・横河・宮地JV、⑤三菱・IHI・松尾・日車・栗本JV、⑥宮地・JFE・住重・駒井・日橋JV、⑦横河・川重・東骨・三井・トピーJV。

 主塔から主塔へと、主塔からアンカーレッジへと空中に張り渡したメインケーブルと、メインケーブルから垂直に橋桁に向かう多数のサスペンダーケーブルの縦列が実に美しい。
 ケーブルに自重のみ作用するときの曲線をカテナリー(Catenary)または懸垂曲線と呼ぶが、このカテナリーが流麗な美しさを引き出している。

写真1 神戸市垂水区東舞子町から見た「明石海峡大橋」、向いは淡路島

 架橋地点で明石海峡の幅:約4km最大水深:約110mで、潮の干満による潮流の速さは最大4.5m/sに達する。
 明石海峡は古くからの漁場であり、海上交通安全法による国際航路にも指定され、船舶は1400隻/日以上が運行する海上交通の要衝である。

 一方、他の本州四国連絡橋では海底の地盤が花崗岩であるが、明石海峡では海底が花崗岩の上に、砂岩や泥岩で構成される神戸層と砂礫層の明石層があり、その上に沖積層が重なる複雑な構造である。

 明石海峡大橋の主塔の海中基礎は、神戸側と淡路島側の神戸層と明石層に1基ずつ設置されており、170万年前以降に動いた活断層だけではなく、すべての断層を調査して避けて設置された。

 神戸側の海中基礎は直径:80m、高さ:70mの巨大円筒形で、水深60mの支持地盤を大型グラブ船で掘削後、工場で製作された鋼製ケーソンを沈設し、水中不分離性コンクリートと気中コンクリートで打設する「設置ケーソン工法」が採用された。重量:1.58万トンである。
 また、洗堀せんくつ対策として、基礎周囲には約1トン分の小石をネット製の袋に詰めた「フィルターユニット」と、1トン以上の石を10mの厚さで敷き詰めている。

写真2 神戸市垂水区東舞子町側から観た「明石海峡大橋」の下部構造

 また、ケーブルを支えるアンカーレッジを神戸市側と淡路島側の海岸線を埋め立て1基ずつ設置されている。2本のメインケーブルで12万トンの張力を支えるため、基礎も含めた巨大なコンクリート構造物である。

 神戸市側アンカーレッジは、長さ:84.5m、幅:63m、高さ:47.5m、重量:約35万トンのコンクリート躯体で、直径:85m、深さ:63.5mの巨大な円筒形の連続壁併用中実剛体基礎が採用された。
 淡路島側アインカーレッジは、重量:約37万トンのコンクリート躯体で、土留壁による直接基礎が採用された。
 打設には過密配筋下での大量・急速打設を可能とする低発熱セメントを使用した高流動コンクリートが開発された。

写真3 神戸市垂水区東舞子町側のアンカーレッジと「孫中山記念館」

橋の科学館と吊橋のメインケーブル

 神戸市側の橋のたもとには「橋の科学館」が開設されており、明石海峡大橋を中心に技術・歴史展示が行われている。

 橋の科学館前には、メインケーブルのカットモデルが展示されている。
2本のメインケーブルは直径:1.122m、長さ:4071~4074mに達する。それぞれ290本のストランド(正六角形に束ねられたワイヤ)で構成され、1ストランドには明石海峡大橋向けに開発された引張強度:180kgf/mm2の高強度亜鉛めっき鋼線(直径:5.23mm)が127本束ねられている。

 メインケーブルは防食対策として、直径:4mmのワイヤを密に巻き付けた後、厚さ:1.6mmのラバーテープで覆い塗装が施されている。さらに、乾燥空気をメインケーブル内部に常時送風し、湿度管理を行う「送気乾燥システム」が採用されている。

 一方、補剛桁には一般構造用鋼(JIS-SS400)から高張力鋼(JIS-HT780)が使われたが、軽量化と経済性の観点から高張力鋼が多用された。主塔とアンカーレッジ付近は、工場で製造された100m前後の桁を大型クレーンで架設し、その後、パネル状に組み立てた部材を継ぎ足す面材架設が行われた。

写真4 橋の科学館とその前に展示されているケーブルの断面模型

舞子海上プロムナード

 神戸市側のアンカーレッジ内に設置されたエレベータで、海面から高さ47mへ上がると、橋桁下部に「舞子海上プロムナード」が設置されている。淡路島方向に向かい、150mほど歩けば「展望ラウンジ」に到着する。

 プロムナードには床の一部がガラス張りの個所があり、橋下を運行する船舶を真上から見下ろすことができる。また、展望ラウンジでは、明石海峡大橋の主塔の頂上に設置された展望カメラの映像が流れている。

 プロムナードからは、橋の下部構造を観ることができる。明石海峡大橋は、計画段階では四国新幹線の走行も想定して設計されており、下部構造には大きな空間がある。

写真5 舞子海上プロムナード(左)と「明石海峡大橋」の下部構造

阪神・淡路大震災と明石海峡大橋

 1995年(平成7年)1月17日5時46分、明石海峡付近の深さ10~20kmを震源としたマグニチュード7.2の大地震が発生した。
 この時、明石海峡大橋は、両方の主塔が立ち上がり、メインケーブルの架設がほぼ完了していたことが幸した。補剛桁の設置が完了し、自動車が通行していたらと考えると、、、、、

 地震後の詳細点検で、橋梁構造物の損傷はなかった。しかし、地盤が移動したことで中央径間が約0.8m、淡路島側の側径間が0.3m拡がった。また、神戸市側ではアンカーレッジが0.13m上方へ、橋脚が0.09m上方へ、淡路島側ではアンカーレッジが0.22m上方へ、橋脚が0.19m下方へ移動した。 

 建設当初は橋長:3910m、中央支間1990mであったが、阪神・淡路大震災により橋長が1m伸びたのである。この異変に関して構造解析が行われたが影響はわずかであり、工事のやり直しは必要なしと判断された。
 ただし、主塔間の距離が伸びたために、未製作の橋桁のパネルの長さを調整することで対策された。 

図1 阪神・淡路大震災による支間長の変化 出典:本州四国連絡橋公団

明石海峡大橋の歴史

 1955年(昭和30年5月11日)朝もやの中で発生した宇高連絡船「紫雲丸沈没事故」で、修学旅行中の児童を含む死者168名の惨事が起きた。

 1970年(昭和45年7月)本州四国連絡橋公団が設立。

 1973年(昭和48年10月)本四架橋3ルートの工事実施計画が認可。(神戸-鳴門ルートは道路/新幹線の併用橋とされた。)

 1973年(昭和48年11月)石油ショックの影響で、本四架橋の着工凍結。

 1975年(昭和50年8月)児島-坂出ルートと、大鳴門橋、因島大橋、大三島橋の着工凍結が解除。

 1985年(昭和60年)明石海峡大橋の道路単独橋としての事業化が決定。

 1988年(昭和63年5月)現地工事に着工。
 1992年(平成4年12月)基礎工事が完了。
 1993年(平成5年4月)主塔の設置が完了。
 1994年(平成6年11月)メインケーブルの架設が完了。

 1995年(平成7年1月17日)阪神・淡路大震災が発生。

 1996年(平成8年9月)補剛桁の設置が完了。
 1998年(平成10年4月)「明石海峡大橋」の完成。
 1998年(平成10年) 土木学会田中賞を受賞。


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