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30.あのエッフェルが設計したーポルトのドナ・マリア・ピア橋


鋳鉄から錬鉄への進化

 一般に、鋳鉄には2.5~4.0%の炭素(C)を含んでおり、ケイ素(Si)の含有量が多いと黒鉛(グラファイト)塊が析出する。溶けた鋳鉄を鋳型に流し込み凝固させる時に収縮するが、黒鉛塊は膨張するために鋳型に近い鋳物を造ることができる。
 鋳鉄は炭素含有量が多いほど、鋳造し易く、被削性に優れ、硬さ、耐摩耗性、圧縮強度は高くなる。しかし、延性や靭性じんせいもろさ)は低く、溶融温度が高くなる傾向にある。

 特に、炭素量が2%を超えた鋳鉄は強度は高いが脆いため、炭素量を0.08%未満に減らす開発が進められ、従来の木炭を使った精錬炉に替わり、石炭を使った大量生産方法が開発された。これにより、18世紀後半に強度と延性に優れたパドル錬鉄れんてつ (wrought iron) が誕生する。

 1785年、英国のHenry Cort(へンリー・コート)は、石炭加熱の反射炉に鋳鉄を入れて溶かし、炉の側面から鉄棒を使って撹拌することで、鋳鉄中の炭素を燃焼ガス中の酸素と反応させて除去するパドル法 (Puddling process) を発明した。得られた錬鉄塊は束ねて、蒸気駆動の圧延機によりLエル型構造材や板材に成形された。

 1790年代に入るとパドル法は急速に採用が進み、英国の製鉄業の中心地はアイアン・ブリッジ峡谷から、豊富な石炭が入手できる南ウェールズ、スコットランド、イングランド各地へと移った。

 錬鉄は、鉄道レール、橋梁などの鉄骨構造物へ、幅広く採用されたが、まだまだ靭性(脆さ)は低く、生産性も高くないため、その後も性能向上をめざした開発が継続され、鋼鉄こうてつはがね)」が誕生する。 

表1 鋳鉄、錬鉄、鋼鉄の材料特性の比較

英国メナイ海峡を横断するブリタニア橋

 1850年、英国北西部のメナイ海峡を横断するBritannia bridge(ブリタニア橋)が、土木技術者Robert Stephenson(ロバート・スティーブンソン)の設計・施工により完成した。大規模な錬鉄製の橋である。

 錬鉄製の箱型主桁4基を、石積の橋台3基の上部を貫くように並べた4径間の連続桁橋である。橋長:461 m、幅:16 m、高さ40 mで、中央部の2径間の箱型主桁はそれぞれ約140mの長さで、その両端に約70mの箱型主桁が設置された。
 箱型主桁は400万本のリベットで組み立てられ、その内部を鉄道が走るチューブ構造の鉄道橋であった。 

 残念ながら、1970年に火災を受けて撤去された。その後、中央部の石積の橋台3基を再利用し、その両側にコンクリート製橋脚が建設され、1972年1月に鋼鉄製の2連トラスアーチ橋として再建された。現在は、鉄道/道路併用橋として利用されている。

ポルトガルのドウロ川に架かる「ドナ・マリア・ピア橋」

 1877年に架橋されたポルトガル北部の都市ポルトに流れるドウロ川に架かるPonte de Dona. Maria Pia(ドナ・マリア・ピア橋)は、リスボンとポルトを結ぶ鉄道橋で、トラス構造の放物線アーチが女性的で実に美麗である。
 主桁を支えるためポルト市側に2本のトラス鉄塔、反対側には3本のトラス鉄塔が設置されている。

 パリのエッフェル塔を設計したAlexandre Gustave Eiffel(アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル)が設計した橋長:352.8m、幅員:3.1m、アーチスパン160m、高さ62.4mの錬鉄製の2ヒンジアーチ橋である。

 橋は1878 年 10 月 に完成し、11 月に国王ルイス 1世 とMaria Pia of Savoy(サヴォイア王妃マリア・ピア)による橋渡式が行われ、敬意を表して命名された。

写真1 ドウロ川上流からの「ドナ・マリア・ピア橋」
背景には現代的なインファンテ・ドン・エンリケ橋が見える

 建設当時は、世界最長のシングルアーチ橋であったが、1991年6月に鉄道橋の役目を終えて、現在はモニュメントとして残されている。

写真2 ポルト市側から見下ろした「ドナ・マリア・ピア橋」
左手には現代的なデ・サンジョアン橋が見える

 トラス設計による上路式アーチ橋はリベット結合で組み立てられており、アーチの両端支持は花崗岩の石積み橋台の上に、上下左右を固定とし回転のみ自由なヒンジ機構が採用されている。

 橋台の銘板には、エッフェルが設計したこと、国際歴史的土木ランドマーク(International Historic Civil Engineering Landmarks)に登録されたことが示されている。
 ドナ・マリア・ピア橋の完成後、約10年を経た1889年3月、パリ万国博覧会のシンボルとして錬鉄製のエッフェル塔が建設された。

写真3 アーチ支持部には上下左右を固定とし回転のみ自由なヒンジ機構が採用

ドウロ川に架かる「ドン・ルイス1世橋」

 「ドナ・マリア・ピア橋」完成の8年後の、1886年10月にドウロ川下流(西側)1.1kmの位置に、国王の名を冠したPonte de Dom Luís I(ドン・ルイス1世橋)が完成した。

 トラス構造の上路/下路の2階建ての放物線アーチ橋で、男性的な力強さが感じられる。主桁を支えるのは中央のアーチと、両岸の石積み橋台の上に立てられた2基のトラス鉄塔である。また、その両端の陸上には上路橋を支えるためのトラス鉄塔が設置された。

 橋の様式が似ているのは、アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルの弟子であるFrançois Gustave Théophile Seyrig(フランソワ・ギュスターヴ・テオフィル・セイリグ)が設計したためで、セイリングは「ドナ・マリア・ピア橋」の建設にも参加している。

 上路橋の全長:395m、下路橋の全長:172m、幅:8m、高さ:45m、アーチスパン:172mの、錬鉄製の2ヒンジアーチ橋である。
 アーチの両端支持は花崗岩の石積み橋台の上に、上下左右を固定とし回転のみ自由なヒンジ機構が採用されている。

 上路橋は鉄道・道路併用で上街をつなぎ、下路橋は道路橋で下街をつなぐ現役の橋である。いずれも歩いてわたることができる。

 1996年に、「ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院」が、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

写真4 世界遺産に登録されたドウロ川に架かる「ドン・ルイス1世橋」

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