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学校での評価が低いから苦手、とは限らない

夏休みの宿題の読書感想文に学生は苦戦している、というニュースがやってました。
私あんまり読書感想文を書いた記憶がないんですが、感想文に限らず、学校の授業に関するものはことごとく苦手でした。

学生の頃の私ときたら、図工、家庭科、作文、レポート、習字・・・とにかく自分で「作る」ものが苦手だった。
文字とか絵はバランスが取れないし、まず定規でまっすぐ線が引けない。あれはどうやったらまっすぐになるんですか?
それに付随して家庭科もまっすぐミシンはかけられないし、そもそもミシンの仕組みもさっぱりわからない。
ことごとく逆に縫い付けて出来上がったエプロンのひどいこと。。

作文やレポートはもはや組み立て方も、自分の感情を「うまく」言葉にすることも教えてもらってないからできないって思ってた。
自由研究なんてテーマ考えてたのほとんど親だったしな。
「こんな感じでやるんだよ」っていわれた「こんな感じ」の形に全部当てはめて、なんだかちぐはぐで中身のないものばっかり提出してた記憶。。。

学校の授業を受ける自分のスタンスがまったく定まってなかったです。
だから、言われてることも全部ちんぷんかんぷんだったんだと思います。

だけど私は今、書くことや作ることを楽しいと思っています。

誰からも評価されないから、自分の好きなものだけを好きな時に好きなだけやれるようになって、自分が満足するものだけを作れるようになった。
自分が知りたいものをじっくり調べて試せるようになったし、失敗もできるようになった。

読書感想文のニュースでは、「自分の思いを伝えること」を意識すればいい、「読書感想文じゃなくて、好きなものについて自由に書くじゃダメなのか」って、コメンテーターの人たちが言っていた。

すごくいいな、って思ったけど、「なんだかわからないけどすごくいい」という評価は学校ではつかないし、
私にはわからない「なんらかの基準」が存在していて、それを見定めて提出するのが宿題であると思った。それが私には見定められなくって、苦手意識になっちゃったんだと、都合の良いように解釈した。

大人になったら好きなものを好きなだけ、自由にやれる。趣味でやれる。
評価が欲しいと思った時に挑戦できる。
「うまくやる」じゃなくて「楽しくやる」方が上達するんだよね。

だけど時間は有限だから、時間のあるうちにたくさん「楽しい」と思えることを探さないとね。
今年の夏休みは短いらしい。子供大変。
宿題に悩む子たちを見ながら、ぼんやり昔の黒歴史を思い出した朝でした。

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