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小説『夏色』

放課後、自転車の後ろに親友の夏音(かのん)を乗せて、くっちゃべる目的でイオンのフードコートを目指してペダルを漕いで行く。
セーラー服からちらりと見えたヘソも気にせず、私は精一杯に前を向いて自転車を漕いで行く。

空には入道雲がもくもくと姿を現し、ザ・日本の夏という感じ。ここ板橋区は果てしなく埼玉に近い場所に位置し、夏場は都内でも気温が高く上がる。通学に利用している東武東上線はえげつない人身事故率を誇るため、私たちは学校に内緒でチャリ通をしているんだ。

本日、我々の高校の期末テストが終わり晴れて明日からは夏休み。そう、試験は終わりました。ダブルミーニングで。でも気にしない。
だって明日からは夏休み、夏休みは絶対短い。だから死ぬ気で遊ばなくちゃ。大江千里だって、むかし、ポンキッキーズのオープニングで夏休みの短さを歌ってたって親戚のお姉ちゃんが言ってたし。

夏音とは自転車の2人乗りするときの漕ぎ手を日替わりにすると小学校の頃からルールを決めている。今日の漕ぎ手は私の担当。高校生になってから私たちの成長は十分すぎるほどで、正直ちょっと自転車のペダルが重い。バランスを取るのも年々難しくなってきた。
夏音も私も体重は40キロ代前半だけど、こうして坂道を上っている今、太ももからふくらはぎにかけての筋肉がもう悲鳴をあげている。ああ、乳酸がたまる!がんばれ私、負けるな私。

立ち漕ぎしながらの走行中、夏音がふざけて後ろから私のおっぱいを制服の上から触ってくる。やめろ変態!と言っても、いいじゃん減るもんじゃないしと言う。あ、でも色葉(いろは)はこれ以上減ったら大変かーと背後からハスキーな笑い声が返ってくる。おっぱいは夏音のほうがずっと大きいのにやたら触ってくるの謎すぎる。そうだ、これ以上おっぱいが減ったら大惨事だ。だから触るのをやめてくれ。

夏音の声は高校生の割には落ち着いた声をしている。
声だけじゃない、ルックスも大人びていて可愛い、ではなく綺麗な顔立ちをしている。肩下まである彼女の栗色の髪の毛は、私の後ろで風になびいているはずだ。ほら、いま通りすがった男子高校生が夏音の方に目線をやった。いつもそう、ふたりで遊んでいて男に声をかけられるのは決まって夏音だけ。男どもは私には目もくれない。

でも私は美人の彼女を連れて歩けることが嬉しい。いいでしょ、この子私のいちばんの友だちなんだよ、相思相愛なんだよ、夏音の裸だってみたことあるんだよ、いいだろーう?なんて思いながら胸を張って2人で闊歩するんだ。原宿も渋谷も池袋もどこだって華のある夏音と一緒にいればそこは私たちのランウェイだった。

うすうすお分かりかと思うが、夏音には大学生の彼氏がいる。現在法学部の2年生で、渋谷でナンパされて付き合ったらしい。17歳の彼女と不純異性交際するなんて法学部のすることか。
一方の私にはまだ彼氏ができたことがない。付き合うことがどんなことなのか、うまく想像できないままでいる。好きになる気持ちはもちろんわかる。
でもお互いに好きになってどうにかする、というところで映像が黒く覆われてぐちゃぐちゃになってしまい、どんなデートをするのかとか、そのあとのことをうまく思い描くことができない。ねえ、みんなどうやってデートの仕方を勉強したの?

夏音から初めて「彼氏ができた」と告白された時には思わず気持ちが高ぶって、情報処理しきれずに泣いてしまった。私より早く彼氏ができたことに対する羨ましさと、彼女に私より大事な人ができたという複雑な気持ち。改めて考え直すと自己中心的すぎる考えだと我ながら思う。
今は、大丈夫。ちゃんと2人の仲を温かく見守ろうって思っている。彼氏に会ったことがあるけど、到底ナンパなんてしなさそうなおとなしい外見で驚いたことを覚えている。

彼氏いわく、夏音を見た瞬間、この子が運命の子だってピンと来たんだって言ってた。彼と三人で会ったときに、法学部ってさ決められた法律に基づいて論証するよね?それなのにそんな感覚的につきあったりするんだ、とちょっと意地悪なことを言ってしまった。
彼―中岡君はスクエア型の眼鏡をちゃっと指で直してから「魔法にかかっちゃったんだよ」と笑った。また非現実的な。でも、そんなお茶目な中岡君が悪くないなと思えた。
私の大事な夏音を大事にしてね、などとどの立場の人間の発言かわからないコメントを私はして、その日はとんでもない量の生クリームが添えられたパンケーキを中岡君におごってもらったんだ。ごちそうさまでした。

イオンまでの途中、交番の前を通るため、一旦夏音が自転車の後部座席からジャンプして降りる。
「私ね」
降りたタイミングで夏音が切り出す。なぁにと後ろを振り返る。
「富山に引っ越すことになった。親の都合で」
「富山?なんでまた」
夏音は下を向いて、右手で髪の毛をくるくると指に巻きつけた。彼女が話したくない話題を話すときのしぐさだ。
「ニュースでさ、よつば銀行の行員が不正な資金移動をしたって事件知ってる?」
「先月あったような気もする」
よつば銀行は大手メガバンクのひとつで、夏音のお父さんは確か、新宿西口支店の支店長だと聞いたことがある。ちなみに私のうちはしがない商店街の八百屋だから、住む世界がちがうなあと以前夏音にぼやいたりしていた。

そんなとき夏音は「自営業って経営するの大変だから、色葉のお父さんお母さんだって十分すごいんだよ」と即座に返してくれたのを覚えている。色葉のところの野菜は新鮮だし、おまけだってしてくれるしと添えて。夏音は私が認めてほしいところをちゃんと知って言葉に出して認めてくれる。ありがとう、そういうところが大好き。

「それでね、不正があったのがお父さんが勤めてる支店なの。だから部下の責任とって、左遷」
「左遷ってなに」
「説明するの情けないからググって」
「っていうか、学校は?」
「もちろん転校するよ。新学期から富山の女子高に。編入届はもう提出してる」

まじか。返答をできずにまごついていると、交番の前を100メートルほど過ぎ、ほらほら自転車乗って!と夏音に急かされたので、サドルを跨いだ。プリーツスカートがひらり揺れる。 アイロンをかけすぎたスカートはテラテラに光っている。

夏音がいなくなる。夏音が富山に行っちゃう。富山県の形がうまく思い描けない。富山の名物ってなに?ますの寿司?あとは?あとは思いつかない。東京から富山って新幹線走ってたっけ?深夜バスなら安くすむかな。

これまで小学校から高校まで夏音と私は常に一緒に過ごしていた。先生からも「お前らニコイチだな」とよく言われたし「抱き合わせかよ」と呆れられたこともあるし、同級生から「金魚のフンみてえ」「レズか何か?」と冷やかされたこともあった。

我々は同性愛者ではないけれど、私と夏音は間違いなく愛し合っていた。安いシルバーのペアリングなんて買わなくても根っこの部分では深く共鳴した。確実にワイヤレスで「ペアリング」していた。
生理の周期だって同じだったし、好きなミュージシャンだって、好みのマニキュアの色だって同じだった。夏音の悩みは私の悩みだし、私の悩みは夏音の悩みだった。そこらへんの薄っぺらい男女の恋人同士よりずっと深く深く繋がっていたはずだ。彼氏彼女の事情なんてわからないけどそう思っていた。

もうしばらく平坦な道を漕げば、急な下り坂に差し掛かる。
「中岡君はどうするの?」
「サカキとは別れたよ、先週」
「えっ、運命の女だって中岡君言ってたよ」
「あいつは口だけだよ。ほんとうはね、陰でめちゃくちゃ浮気されてたんだよ」

……またも即答のできない会話になってしまった。頭の中が混乱する。中岡君、まじめそうな外見で、でもナンパはしてて、運命的な出会いだと言い切った夏音と付き合って、それでも陰で他の女といちゃこらして、で、縁を切られた?
男子と付き合ったこともなければ、ナンパされたこともなければ、寝たこともなければ、浮気されたこともなく、さらには自分から別れを切り出したこともない私には何ひとつピンと来るものがなかった。
夏音に同情していいのか、清々したねと言えばいいのか、男なんて信じられないねと言っていいのか、これから失恋ソング歌いにカラオケに行こうかと言えばいいのか正解が一体何かちっともわからなかった。だけど、ひとつだけ。

「夏音、いま辛くない?」
私の精一杯の問いかけだった。
「つらみの極み。だからさ、夏休みは計画立てて全部やりきってやろうって思うんだ。色葉、私と一緒に遊んでくれる?」
「もちろん!」

やっと二つ返事できる質問を投げかけられた。
「計画ってどんな?」
「うん、自転車で四国まで行って、八十八か所ぜんぶ回りたい」
「え…正気?」
「正気だよ。わたし、叶えたい願いがあるんだ。だから、人生で一回くらい神様に頼ってみてもいいかな、なんて」
「なになに。なにのお願い?」
「それ言っちゃっうと叶わなくなるから内緒」
「神様ってそんな器ちっちゃい?」
「気持ちの問題!」

ロードバイクでもないチャリで四国八十八か所参り……。気が遠くなりそうだけど、あと40日も私たちには時間がある。いや、そうじゃない。あと40日しか私たちには一緒にいられる時間が残されていないんだ。そう思うとこうしておっぱいをまさぐられている今この時間が言い表せないほど愛おしいものに思えてくる。

「行こうね、四国」
「食べようね、うどん」
「おー!」
私たちは片腕をえいやと挙げて腹の底から叫んだためバランスを崩した自転車が右往左往にくねって走った。慌てて左手をハンドルに戻す。目の前には急勾配の坂が見える。ジェットコースター並みの傾斜に毎回目がくらくらする。

板橋区は通称「坂の町」、私の大切な人を後ろに乗せて、急な坂道をブレーキいっぱい握りしめて、自転車がよろけないようにゆっくり、ゆっくり、坂をくだっていく。
空には真っ白な入道雲、湿度は90パー以上、私たちの冒険はこれから、はじまりはじまり。
(了)


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