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「何にだったら頭を支配されても許せるか?」という問いかけ

「やりたいことを仕事にしよう」「好きと得意を生かそう」「ワクワクした毎日を過ごそう」

分かるけど、どうにもピンとこなかった。

この類で、最近しっくりきたのが「何にだったら頭を支配されても許せるか?」という問いかけ。どこかで見かけたわけじゃなく、自分の頭に勝手に流れてきたものだ。

あんまり興味のわかない仕事を受け身で請け負うと、「どうしてこれに頭を支配されなきゃいけないんだ」と憤りを覚える。断れなかった自分や現場の役割、人間関係などに対して、恨みに近い気持ちが出てくる。

締め切りのギリギリまで別のことをしたり、体調が悪くなってきたり、「そもそも働くのが向いてない」とかいう暴論に辿り着いたりする。

受講中のライター塾で「書きたいジャンルのエッセイの企画を考えて、執筆する」という課題取り組んだり、文学フリマ東京39に向けて歌集を制作したり、占いジャンルのお仕事をやってみると、幸せを感じた。

「関心のあることに時間を使ってもいいってことが幸せ」で、「考えたいことを考えるために時間を使えることが幸せ」なのだと分かった。

いくら好きなこととはいえ、エッセイの執筆や歌集の制作、占いジャンルの記事作成も楽では決してない。むしろ時間がかかるし、丁寧なリサーチが必要だったりする。図書館では一般人は入れないような倉庫的なところから本を持ってきてもらったり、やたら高い学術書を購入したり、時間的にも金銭的にもなかなかリソースを奪われる。

それでも「考えたいことをいくらでも考えても良いし、調べても良い」という状態がとても心地良くて、もうずっとこれがいいと思った。

「何にだったら頭を支配されても許せるか?」。

興味のないジャンルの仕事に頭を支配されるのは、許せない。どうしても集中できないし、その場にいられない。

自分の言葉をつくったり、占いの知識を集めたりすることに頭を支配されることは、許せる。

どちらかと言えば優等生気質だったわたしは、「自分が本能的にやりたいことをやる」をしてこなかったのかもしれない。

フリーランスになっても「無難に稼げる仕事」を探したり、お金が減ってきたら仕事を増やしたり、思ってるよりもずっと「べき」を基準に行動してきたんだろう。

  • もっと納得感のある仕事をやりたい人

  • 「べき」が強い人

  • 頼まれごとをやると、行動にブレーキがかかる人

こういう仲間は、ぜひ「何にだったら頭を支配されても許せるか」を考えてみてね。

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伊藤七 | ライター
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