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辛いときには、辛い、しんどいって声をあげなきゃダメなんだよね

声にならないコトバ。

自分の気持ちを言わずに、いや、言えずに生きてると、言わないでもいっかという癖がつく。
想いはあるのに、言えない。
想いがあるのに、自分が我慢して黙ってたら、うまく家庭が回ると思ったりもする。
いつからだろう。
こんな自分なのに自分じゃないような、自分を殺してるような時間を過ごすようになったのは。

「環境が人を作る」
とはよく言ったもので、その通りだと痛感していて、周りにいる人の影響は、すごく大きい。
いい悪いは別として、自分が思い描く世界を作っていきたいのであれば、まわりに置く人は、意識して変えてく必要があるなと思う。



例えば、お風呂掃除をするとするじゃないですか。
月曜日は、お兄ちゃんで、火曜日はお姉ちゃん、水曜日はママで、というように、曜日が固定されていたら、やりたくない時も、体調悪い時もあるけど、やらなきゃいけない環境を作られてる。
だから、風呂掃除なんて、やりたくないのに、言われてやってるから、やりたくなくなる。

でも、ジャンケンで決めよー!ってなったら、そこに遊びが生まれて、やりたくないから勝つからね!って言ってみたり、昨日はチョキ出したから、今日はグー出す?みたいに、双方のコミュニケーションが取れるループが生まれる。結論、勝っても負けても、自分の意思で決まったことだと思えるような、構図が出来上がる。

そんな風にして、なんでも同じモノごとに関して、見る、捉える視点を変えるだけで発する言葉もコミュニケーションも変わってくるわけですよね。


そうやって思い合ってコトバのキャッチボールをしていたら、辛いとか、しんどいとか、なんかちょっといつもよりトゲトゲしてない?とかって気づける関係性になるはずなんです。



自分がどうやったら、毎日楽しく笑って、幸せに生きていけるのかを考えたら、きっといま置かれてる環境が合わないことも出てくるかもしれない。

合わないときが来たら、まずは、声をあげてみる。

〇〇だから、辛いー!
〇〇な部分が、しんどいー!
〇〇は、めっちゃ楽しくて幸せなのー!とかね。

それでも、変わらないのであれば、自らそこに居続ける工夫をするか、それとも周りにいる人を変えるか。同じ環境にいて、周りにいる人を変えられるなら、それが一番かもしれないけど、そうでもない時がある。だったら、違う選択肢を取ったっていいと思う。
なんでかって、自分の人生だから、だよ。

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