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自由の中にも制限は必要
ピアノ、スイミング、バレエ、絵画、硬筆、毛筆、テニス……
わたしの子ども時代は、学校から帰宅したら、毎日習い事をこなす生活。
習い事は、2歳からやっていたので、物心ついたら、もうやっていたという状態。
小学生になったら学校から帰って、友達と遊んでる子が羨ましかった。
ちなみに、弟もほぼ同じような習い事をしていたけれど、
「やりたくなーい」と言って、放棄していた。
そんな弟を持つ私は「わたしは、しっかりかり通さなきゃ」と、親には嫌と言えずに過ごしていた。
「私は、子どもを生んだら、こんな思いはさせたくない」
あの時、小学生ながら、自分の心に誓った。
のびのび、やりたいことをやって過ごせる環境
自分の意見を言える、親との関係性
やりたいと言ったら、応援してもらえる環境
この想いを持ち続け、成長した私。
結果、いま子育てをしていて子どもたちは「自由」に、のびのび育ってる。
野生児のように、どこでも生きていける感性や感覚を育ててきた。
でも、ここに来て、自由にのびのび育てて良かった反面、今ぶち当たってるのが「長男の高校受験」
小学校にあがると、毎日学年+10分勉強しましょうとお達しがある。
でも、「窮屈にさせたくない」という親の価値観から、無理強いさせてこなかった。
ここで立ちはだかった壁が、自由でのびのびもいいけど、まだまだ点数がものを言う時代だと言う現実。
これに合わせようとするなら、制限は必要だった。
たとえ、子ども自身でごはんが炊けても、お味噌汁を作れても、包丁を使えても、火おこしの方法を知ってても、
それは、受験という枠だけで見ると評価されない。
子どもが自ら学びたくなる時を待つのも、骨が折れる。子育てって、奥深い。