毎年受けている健康診断の場所は、私の住んでいる街の1番大きな駅の側にある。駅の東側、北側は再開発で何年も工事が続いており、数ヶ月単位でご無沙汰すると見知らぬビルが建とうとしていたり、あったはずの建物が無くなっていたりする。 私は健診に行くたびに、ちょっと楽しみにしている景色があった。 駅周辺のビルの谷間にひっそり有り続けている『ある古い一軒家』を見るのが楽しみで「今年もあった!」と 安堵して健診会場に向かうのが毎年の常であった。 赤茶けたトタン屋根に、黒く煤けたような色の
自身の記憶がはっきり残っていると自覚しているのは 幼稚園児の頃からだ。 大きな紙に鯉を描いて、切って、棒に貼り付けて、ようやく出来たこいのぼりを園児の誰かに踏まれ、泳げなくなった鯉を見て途方にくれたり、自由時間に一緒に遊ぶ人がいなくて絵本や図鑑ばかり見ていていたこと…そこで見た『人間のからだ図鑑』に載っていた成長ホルモン異常による病気である『巨人病』の写真を見て、「自分もこの病になったらどうしよう」としばらく気に病んでいたり等、楽しかった思い出はほとんどなく、何十年経った今
自分の醜い心が母を通して炙り出される #認知症#母
「◯◯先生、亡くなられたの知ってる?」中学、高校の同級生であり、同じ英語塾に通っていた友人から連絡があった。 知っている人が亡くなった知らせを受けるといつも驚き、衝撃を受けてしまう。人は必ず亡くなるというのに。『変わらずいてくれている』と勝手に思い込んでいる。浅はかながら… 私が通っていた英語塾の先生はいつも着物を着ていた。たぶん当時30代だったのではないか、分からないけれど…分からないほど年齢不詳だった。 着物を着て、長い髪の毛をいつもアップにしていた。カチカチに固ま
父親の父親、すなわち父方の祖父のお墓の中にはお骨が入っていないと知ったのは、かなり大きくなってからのこと。結婚前だっただろうか。 父方の祖父は第二次世界大戦で南方のジャワ島へ出征し、上陸途中で海の中へ消えてしまったと。お骨が帰る事もなく夫は戦死と知らされた当時の祖母のお腹の中には、父親の弟がいたという。 その後時は経ち、父の兄と姉がジャワ島へ行き、海岸の砂を持ち帰り、祖父のお墓の中に入れたそうだ。 お骨の無いお墓とは知らず、幼い頃から毎年お盆にはお参りに行った。お墓参り