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自分用に大切なこと。寿命の前借りはしない。

「貝を掘るのが上手な人が貝を掘り

 野菜を作るのが上手な人が野菜を作り

 狩りをするのが上手な人が魚や肉を捕り

 それぞれ得意なこと、好きなことをして得たもの交換して

 人間は生きてきたのだから、そういう生き方でいいんじゃないかな。」

私の友達は、とてもやさしく、私の置かれた混乱状況を整理した。


久しぶりに仕事で怒られて思う。私の価値観はどこにあるのか。

「お客さんが第一」で「納期を宣言した」から「間に合わせる」のが

プロとしてのプライドと責任。確かにそう。否定しない。

だから「寝るなんてありえない、働くべき」。それは、やっぱり疑問。


WEBページの移管業務。過去のブログや施工集(数百件分)を移すのを3日で終わらせるって、そもそも色々おかしい。仕事振った方も量を把握してなかったし、振り方も雑だし、頑張ってはみたものの「このままでは間に合いません」と正直に伝えたら、上司にめちゃくちゃ怒られてしまった。上司から見て私の処理効率の悪さやスピードが遅いのも、きっとあるんだろう。

「もういい、引き上げてこっちでやるわ」

って突き放されてしゅん、としたけど正直ありがたかった。


仕事のやり方や、向き合い方は人それぞれ違う。私の仕事のやり方や向き合い方が、会社として許容されないのであれば、私は会社に居るべきじゃない。私の在り方が会社の信用を落とすのは本意じゃないし。

ヒリヒリしてストレスフルだけど、たくさんのお金が動いて、死ぬほど興奮する様な現場も確かにあって、そこが水を得た魚になる人だってきっと居る。ただ私はそんな魚ではないんだと思う。負け犬ならぬ負け魚というか、のんきだし、強い外来種に食われるよな〜と思っている。

私はどんな価値観の人たちと働くことが、これからを生き抜く時に大事なんだろうか。心地いいんだろうか。

「そんなんじゃ、この先デザイナーとして生きていけないよ」と言われても、「そうかもしれないですねえ」って素直に思う。少なくとも、私にそういう人の前では、私はデザイナーではないのだろう。

「稼ぐ気があるならそんな甘いこと言えないでしょ」と言われたら「甘いですよね〜」って素直に思う。そういった人と私は「稼ぐ」という言葉の定義が、きっと違うのだろう。

私を責めるのは誰かじゃなくて、私自身の一部なのだ。責められてる別の私が「体が資本!心身健康第一!生きてりゃええんよ」って居直っちゃうんだけど。


こうやって文章でつらつら書きながら、私って根性なしだわ〜って思う。嘘ついて真面目ぶったり、無理やり気張っても仕方ない。

徹夜してゴリゴリ働いた結果、体を崩した時に

働いていた環境という「水」との相性を思った。

「プロ意識」が遠くに霞んで消えていく。「デザイン」と15年くらい一緒にいるけど、情熱の炎は上がらず、火鉢の中の炭みたいな感じで、火が残ってんだか消えてんだか見てもわからない。触るとじんわり暖かいけど。

「デザイン」は悪くない。いつだって「デザイン」は悪くないんだ。

志が低くても高くてもあまり関係ない。私が出来ることをやる。


私が取れる量の貝を掘って、それと交換したいという人に交換して、助け合って生きていきたいんだ。体も心も大事にしたい。夜はちゃんと寝たい。

もう若くないので、無理と我慢と徹夜するような働き方はできないし、やりたくない。

倒れて、鬱って、死ぬより生きるほうを選んだから、寿命を前借りする様な働き方は、もう選ばないよ。





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