御多分に漏れずに自分も就活のレールに乗る。これは当然乗れるレールがあるのだから使わない手はない。しかし、改めて自己分皙を行うとなると自分の行動の無意識の部分が占めていることを痛感させられる。だが、これは全くもって一般的な悩みの範疇に留まるものであろうが。自分がこれから先どのような道に進むのであろうか。大変見ものである。

己のピースを泥濘から一つ一つ掬い上げて、歪な「就活のための自分」を構築していくこのシステムが大変に面白い。だがその自分もあくまで「自分」である。どんな受け入れ難い面倒な自分も、愉快で軽快な自分も、それは自分である。むしろ多くの面を有している方が良い。一面性しか持たぬつまらぬ人間で終わってはならない。根拠なく己を肯んずることも畢竟肝要な精神行為である。

”宇宙のように複数であれ” フェルナンド・ペソア 『不穏の書 断章』より


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