#この春チャレンジしたいこと
ひとことでいうと、かるくなりたい。
(ダイエットも含めて( ^ω^)・・・)
久しぶりに、とぶ感覚をとりもどしたい。
わたしは、有言実行で、口にしたことやおもったことは、遠回りしながらでも叶えてきた。
(しあわせなのか、よくばりなのか、がんばりやさんなのか・・・)
だから、もうすこし、ゆるく生きたい。
風に任せて、ふわふわと、かるくとんでみたい。
だれかにふぅーと吹かれて、とんでいく綿毛のように、ゴールの決まらない、行先のわからないたびをしてみたい。
だから、まず、かるくならないと。
なかなか手放せない、もの・ひと・こと・・・などなど、まず、整えて、シェアーすることから、始めよう。
両手を挙げて、おおきく背伸びができるよう、肩の荷物をかるくしよう。
すると、だいすきだった唄が、もっとうたえるようになるかもしれない。
国分功一郎さんの暇と退屈の倫理学を読んだ。
難解な哲学論だったが、わからないことはわからないままに、とにかく読み通した。
消費に消費されることなく、深い意味での浪費、その過程を積み重ね、たのしむゆとりをとりもどそう。
食べること、働くこと、生きること、いま受け取っていることを大切に。
そのためにも、また、もうすこし、かるくならないと。
次へバトンを引き継がないと。
わからないことはわからないままに。
ここまで、書きかけて、下書き保存し、また、書き足しを始めた。
昨夕、仕事から帰り、いつもしている左手の腕時計をはずした。
その腕時計が、いつもの定位置にない。
朝起きて、うろうろと家のなかを探し回り、おぼつかない?!記憶?!をたよりに、そわそわとした数時間。
OO年間も大事にしてきた時計をなくした意味はなんだろう?!などと、大げさなことも考えながら。
ちょっと、外に出て、車のなかをのぞいてみた。
あった、あった、運転席のまえのボックスのなかに。
すーっとした。
なんてことはない。
自分の思い込みや、習慣なんて。
かるくなれる。
自分の思い込みや習慣をすこし、替えるだけで。
だいじょうぶ、かるくなろう。
こんな時代だからこそ。