![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148209751/rectangle_large_type_2_e2085bd1e2cce36f81ed6cfc2cb4992d.png?width=1200)
還暦は、二度目のハタチ。
2024年5月 賑やかな笑みの月
本連載企画の序章はこちらから
#coin-scope 001(序章)
#coin-scope 002(続 序章)
回り出す、転がり出す、季節の記憶。
5月の新緑。それはいきなりやってくる。
ゴールデンウイークの浮揚感の中で一日二日、ちょっと目を離した隙に、北国の木々は手品のようにいっせいに芽吹いてみせる。生まれたての緑の炎はあっというまに萌え広がり、光を弾き散らしては春の訪れを告げるのだ。
見慣れたはずの季節の移ろい。
しかし、二度目のハタチの目にはありがたいほど鮮烈だ。
何もかもがいっぺんに動き出す季節。生きてきた分だけ過去の春と目の前の春が紐づけられて爆発的に呼び出されていくから、脳内の春は何層にもなって広がり、若冲の絵のように、寄っても寄っても解像度は高い。
そんな眼福に授かりながら、この春、まず感じたのは「車椅子を押せる季節がまた来たな」ということだった。
父を初めて車椅子に乗せたのは、2021年の夏の終わりの頃だった。
認知症が進み、一時も目を離せない状況になってきて疲労が蓄積している母に、せめて週末、少しでも昼寝をして欲しくて、父を外に連れ出すために介護保険でレンタルをした。
屋外で使用できる青いシートの折りたたみ式車椅子は、想像していたよりもずっと軽くコンパクトだった。が、人が座るとそれなりに重く沈み、初めて押した時は100メートルも行かないくらいで顔が真っ赤になって汗が吹き出た。
父はといえば、寒い寒いと言って長袖のジャージを着込んだままだ。出がけに母に掛けられた膝掛けと、同じく被せられた登山帽子、顔はサングラスとマスクという完全防備である。座位を保ち続けるのが難しく、ジャージだと特に滑り落ちそうになるので、後日、専用のシートクッションをAmazonで探してカスタムした。
初めての時も、それ以降も、乗せる時は、本人の同意をとりつけるまでに相当な時間がかかった。座らせさえできれば案外大人しく揺られていたし、車や子供を見つけると「よう」というようにゆっくり片手を上げる仕草をしたり、散歩の犬も見つけるたびに目を細めていた。ただ、認知症が進むにつれ、怒りっぽくなっており、怒り出すと本当に漫画のように白髪を逆立て、目を三角にして怒気を撒き散らすので、血管が切れるのではないかと心配になったし、できるだけそうならないように母といつも細心の注意を払っていた。
その年の車椅子散策は、11月まで9回行けた。実家の近くには木漏れ日が美しい遊歩道があるので、毎回そこに向かった。途中、信号を2つ3つ渡るが、車椅子走行には難儀な箇所が多々あった。段差の高さのちょっとした違いや路面のでこぼこ、インターロッキングのがたつきなど、道路がいかに車椅子に優しくないかがよくわかった。信号が青に変わって車道に降りようとした時、ガクンとなって危うく父を落としそうになったこともある。車から見ていた人はヒヤっとしたことだろう。
車椅子散策は、私にとっては親孝行をしているつもりの自己満足が大きかったと思う。が、わずかではあっても季節の自然を一緒に体感することができたように思うし、木漏れ日も本当に美しかった。リスを見たこともある。
木漏れ日の下、車椅子を止めて父の後ろ姿を撮った写真が何枚かあり、お気に入りの1枚は今、A4コピー用紙にプリントされて実家の居間の壁を飾っている。
そして翌2022年。春が来るのを待ちかねて、再び車椅子散策に連れ出したのがちょうど今時期、5月の連休明けだった。
ここから先は
¥ 100
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?