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還暦は、二度目のハタチ。
2024年8月 推したいのではなく拝みたいのだ
私のライフワークである本連載企画についてご紹介しています
#coin-scope 001(序章)
#coin-scope 002(続 序章)
不毛な争い、不毛な時代。
今年の夏はお盆休みが長過ぎた。
山の日という未だよく理解できていない祝日が日曜で、その翌日が振替休日であったため、実際に休む休まないは別として、10日土曜から18日日曜までお盆休み気分が続くことに。
さらに我が実家ではお坊さんがお経を上げに来てくれるという日が8日だったため、都合11日間がお盆モードとなり、一カ月の三分の一を幽界と行き来しているような、地に足のついていない8月となった。
というのも今年は、三木住職の不可思議相談室という番組をたまたまプライムビデオで観たのをきっかけに、書籍、YouTubeと怪談和尚の世界にどっぷり浸かっていたことが大きい。ほぼ日の怪談という毎年のお楽しみ納涼コンテンツにこの新企画が加わる形となり、後味のやさしい、怖くない怪談の世界を彷徨っていた。
8月はどうしたって死の匂いが立ち込める。
原爆と終戦、この重たい楔を前にして、自分にできることなど何もないのは承知している。ただ、原爆や戦争に関するテレビ番組や新聞報道はできるだけ観たり読んだりしようと決めている。還暦になり、60年の月日などあっという間だと身をもって知っているくせに、つい79年前の出来事を遥か昔の歴史として自分から遠ざけようとする心理が働いていることをもっと自覚すべきだし、そうしようとしない狡さや不甲斐なさこそを本当はもっと感じるべきなのだろう。
週末ごとに実家に通うようになり、母の問わず語りで戦争のかけらを拾ったのが去年の終わりか今年になってからだったから、今、余計にそう思うのかもしれない。
「あの頃は食べるものなかったら、ほんとに痩せて痩せてガリガリだったよぉ」
甘いものを食べながら唐突に母が呟く。午後のひととき、食卓で差し向かいになって愉しむおやつタイム。コーヒーを落としたり、お茶を淹れたりして過ごす団欒のひとときだ。
母の生まれ育ったまちの製菓メーカーのお団子や洋菓子を買って行った時だったかと思うが、懐かしいねえという話になり、昔の記憶が自然に引き出されていった。母は慢性的に目の調子が良くないので、目を閉じたまま、おしゃべりをする。
母は四人兄妹の長女で、兄が一人、妹が二人。私の記憶の中では、家業は確か包装資材の卸のような小商いをしていたかと思うが、当時もそうだったかどうかはわからない。母曰く、暮らしぶりは周りに比べてやや貧しい方だったという。母から見て祖父母、さらに叔母なども時に同居していたようで、頭数がそこそこ多かっただけに食べるものには相当不自由したようだ。
戦争が難局にさしかかった頃、家が線路に近かったため、空襲の危険を減らすという理由で家を焼き払われ、離れた場所にあるお金持ちの家に強制的に疎開させられたという。「全然知らない人達だから、こっちも嫌だけど、向こうも嫌な顔してるし、でも国が決めたことだから。あの頃はほんとに大変だったわ」とこぼす。
そうなんだ、そんなことがあったんだ。空襲で焼け出されたんならまだしも、被害を分散させるために自国の軍に家を焼かれるなんて。
自分の知らない、12、3歳当時の母。そういえば想像したことがなかった、と気付かされる。
感受性が豊かとは決して言えない私だが、母の生身の経験談吐露に感覚の深いところが反応したのか、その夜、明け方近くに夢を見てしまった。
肩の細い、少女の頃の母を斜め後ろから私は見ている。母はたぶん火を見ている。頬の輪郭がゆらゆら赤くなっている。私はと言えば、こんな小さく華奢な女の子に生んでもらうんだと驚き、泣きそうな気持ちになっている。暗がりの中に母の後ろ姿だけがあり、顔は見えない。声はかけられない。何もできない。私はそこにはいない存在だ。ただただ心の中で「よろしくお願いします」というような平凡な言葉を必死で絞り出している。夢かうつつかわからない、目覚めた後に内臓が重たく感じるような夢だった。
戦争は終わった。はずなのに戦争はまだある。今この時も世界では、殺し合い、憎しみ合いが続いている。21世紀の今に至っても、サイバー戦争ではなく血で血を洗う武力戦争だということがむしろ怖い。爆撃の映像を最初に目にした時の衝撃が、しだいに薄れ、今では慣れてしまった世の中のこの感覚も怖い。
考えや価値観や利害関係が異なる人間と共生していける未来は永遠に来ないのだろうか。闘争本能を発揮する場所はスポーツやゲームの中だけにとどめておいて。
戦争とオリンピックを安全な場所で同時にテレビ観戦している異様さの中で、ぼんやりとそんなことを思っている。
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