敗走なのにノンビリ気分? “平将門 迷走ルート”をたどる「七ッ石山」トレッキング ♣歴史に連なる山登り♣(0011)
平将門が乱に敗れて逃走したとの伝承が残る奥多摩・七ッ石山へのルート。東京都最高峰・雲取山への登山コースとしてもよく利用されています。
<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも由縁のある山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。
(本記事/ 文字数:約7300字 読了:約15分)
<こんな方にオススメ>
(1)平将門の乱(承平天慶の乱)に興味がある
(2)奥多摩の山が好き
(3)日本の歴史に関わる山に登ってみたい
<端緒>
平将門伝説といえば、東京・大手町の首塚が有名ですが、奥多摩にもいくつか伝説が残されています。そのうちのひとつが平将門の乱(承平天慶の乱)で敗れた将門が奥多摩を南から北へ奥多摩の石尾根を越えた、というものです。現在、地元の山梨県丹波山村により「将門迷走ルート」として紹介されています。今回、新皇を名乗り叛逆に敗れて落ち延びようとする平将門の逃避行を追体験するつもりで同ルートをたどってみました。
<トレッキングコース>
東京側の雲取山登山の玄関口のひとつである鴨沢バス停から登り七ッ石山で石尾根に上がりそこからふたたび鴨沢バス停へ戻るほぼピストンの登山ルートとなります。
鴨沢バス停からスタートです。バス停ベンチ脇の小さな階段を上がり右手へ坂を上がっていきます。坂の途中に”雲取山・七ッ石山”を指示する看板がありますので左手へ折り返すように別の坂に入ります。ここに「平将門 迷走ルート」の最初の案内板が立っています。この先々、要所に将門伝説を記した案内板(全部で10個)が設置されています。
2番目の案内板”福寿寺”でふたたび左手に曲がり細い坂を上がっていきます。やがて簡易舗装された道から林の中の土の道になります。いったん右手に駐車場がある林道に合流してさらに上がっていきます。しばらくすると林道左手に七ッ石山への細い登山道入り口の分岐が出てきます。
いよいよ本格的に登山の開始です。樹林の斜面をトラバースするように上がっていきます。左手に廃屋が見えてくるとちょっとした平坦地なので一息入れるには都合のよい場所になります。さらに先を上がっていくとやがてガスが出てきました。”小袖”案内板では「将門一行はここで洗濯をした」とされているのですが、逃走中にそんな余裕があったのでしょうか…疑問。
登山ルートの特徴のひとつとしては奥多摩湖の湖畔から石尾根まで登り詰める必要があるので往路は基本的にひたすら登り放しです。逆に帰路はずっと下り続けることになります。下りが苦手な方は足が疲れてしまうかもしれないのでストックをうまく利用するといいのではないでしょうか。登山道を進むにつれてガスが濃くなってきます。なんだかちょっと心細い感じ。ただ、逃走気分を味わうにはちょうどよい雰囲気かもしれません。
途中に水場があります。水場のすぐそばには”茶煮場”案内板が立っています。将門一行はここで休憩してお茶を飲んだとのこと(本当に…そんなことしている場合か?)。もしここでお茶休憩をしたのであれば、将門たちもこの水場の水を利用したのでしょうか。先に進むと”風呂岩”案内板があります。将門一行は追手が付いてこないことを知り安心してここで即席に風呂をつくりあげて湯を浴びたそうです(山の中で?)。
さらに上がっていくと堂所に至ります。この地点が今回の登山コースのおおよその中間地点となります。このあたりはアセビが群を成しており、ちょうど花の時期に当たっておりました。各所で花を咲かせて近づくと独特な甘い香りが漂います。
本登山コースで紹介されている伝説のエピソードは”逃走”というわりには、一行がお茶を淹れて飲んだりはたまたお風呂に入ったりとずいぶんと余裕のあるような振る舞いをしています。もちろんこれらのエピソードが史実に基づているわけではありませんが。あえて”迷走”と名付けた地元の方々のネーミングセンスに感服です。
堂所から一足伸ばしたところで将門一行に悲劇が訪れます。ここまで随伴してきた将門の妻が「もう限界。足手まといになりたくない」と決心したのか、突然、自害してしまいました。尾根越えまでまだ半分と聞いて諦めてしまったのかもしれません。さらに上がっていきますとすこしずつですが登山道の地面に岩盤の表面が露出してきます。これが石尾根の由来なのでしょうか。
大きな岩塊であるマムシ岩を通り過ぎますと、左右に雲取山と七ッ石小屋への分岐に出ます。今回は七ッ石山に出てから下山するため、七ッ石小屋へいったん向かいます。スイッチバックするように斜面を登っていきます。右手に土留の木杭が出てくるとその上が七ッ石小屋です。一息つきましょう。七ッ石小屋には水場やトイレもありまたドリンク類を購入することもできます。小屋奥の平場は休憩するには最適です。
七ッ石小屋からいよいよ七ッ石山頂上を目指して最後の踏ん張りです。小屋の水場源泉と思われる沢筋を越えて七ッ石山と石尾根・千本ツツジの分岐に差しかかり、左手へ七ッ石山に向かいます。すこし上がりきれば石尾根縦走路の道標も見えてきます。左手へ進むと七ッ石神社のお社があります。その背後には巨石が連なっています。伝説ではここに将門たちは身代わりの人形をつくり敵の目をごまかし、やがてその人形が巨石と化したとされています。ここが七ッ石山の山頂になります。将門迷走の伝承はもうすこし続きますので最後の案内板があるブナ坂まで足を伸ばします。
今回の山行はガスが多く発生しておりましたので遠くの風景はほとんど見ることができませんでした。晴れた日には石尾根に出れば富士山がよく見えます。また七ッ石小屋は小さな山小屋でお食事は自炊という古風な山小屋の趣で、様々な設備やサービスも充実してきている現在では逆にちょっと面白い小屋といえるかと思われます。
七ッ石山頂上から雲取山方面へ進むといったんガレた斜面を下りコルに出るとブナ坂です。将門一行はブナ坂から北の天祖山そして秩父方面へ向かおうとしますが、ここでさらに将門の妻に続き99人の側室たちが一斉に自害してしまったとされています(百人の女性を引き連れていたとは…)。そのほかの人々を含めると考えると、勝手な最初のイメージの平将門ら少人数の一行が命からがら落ち延びようとしていた姿から、大規模な軍勢の敗走だったようにも思いなおしました。
「平将門 迷走ルート」の案内板はブナ坂で最後となりますので、今回は石尾根上のブナ坂をゴールとしたいと思います。下山ルートはブナ坂から巻き道を利用して七ッ石小屋方面へ向かい元来た登山道に合流して鴨沢バス停へ下りて行くことになります。
いまさらですが率直にいいますと、平将門がこの土地を通行したという史料的な根拠はないように思われます。将門の本拠地はかつての下総国や常陸国でいまの関東地方北西側になります。朝廷軍と将門軍との最終決戦も常総周辺で行われたようです。とはいえ将門が関東一円を席巻して一時的にでも勢力を及ぼしたの事実と思われますので、奥多摩あたりもその影響下にはいったのでしょう。ほかにも奥多摩など関東には平将門を祀った神社(もっとも有名なところですと東京・神田明神でしょうか)があったり将門に由来する地名も残っています。そのため、平将門一派の残党がこの地を通り、それが伝承として平将門一行に転化したのかもしれません。
奥多摩や秩父あたりを登山をしている方にはよくお分かりになるかと思われます。石尾根上にある雲取山あたりは甲斐と武蔵の境界ともなり、さらに石尾根から北へ向かえば秩父山地に入ります。いわばこの地域は西側と南側の領域との境目にあたります。その意味で、どちらかといえば関東北東側に勢力を構えていた平将門一派としては西と南からの追手を振り払ってきた彼らにとって、石尾根上までたどり着き背後の富士山を振り返れば「一山越えた。いよいよ自分たちの勢力圏内だぞ」と息を吹き返せるような場所だったのでだろうかと感じました。
[行程表]
※標準的タイムによる目安(休憩含まず)
「鴨沢」バス停→ 小袖乗越・駐車場(30分)→ 堂所(110分)→ 七ッ石小屋(50分)→ 七ッ石山・山頂(40分)→ ブナ坂(10分)→ 七ッ石小屋(30分)→ 堂所(30分)→ 小袖乗越・駐車場(80分)→ 「鴨沢」バス停(20分)
コースタイム/ 6時間40分程度
標高差/ 1200m程度
[トレッキングコース補足]
要所に道標が設置されているので迷うことはほとんどないと思われます。
基本的に樹林帯のなかの道ですが、稜線の石尾根に近づくと石も多く出てきます。ただ岩稜帯というほどではありません。
本コースを登っているときは気付きにくいですが、下山時には何ヶ所か不明瞭な分岐路があります。いずれも谷へ下りていく道となっていますが、登山道は斜面をトラバースするように緩やかに下っていく道です。
●水場やトイレなど
水場は登山道入口と堂所の中間地点くらいにひとつ、また七ッ石小屋にもあります。
トイレは鴨沢バス停、小袖乗越・駐車場と七ッ石小屋にあります。
[難易度・危険個所など]
とくに大きな難所や危険個所などはほとんどありません。
●エスケープルート
登ってきたルートをピストンして鴨沢バス停まで戻ることになります。
●山梨 山のグレーディング
※鴨沢バス停から石尾根を経由して雲取山までの場合
体力度/ 5 (1→10 低→高)
難易度/ B (A→E 低→高)
[概要]
七ツ石山 (ななついしやま)
所在地: 東京都西多摩郡奥多摩町、山梨県北都留郡丹波山村
東京都と山梨県の県境を東西にはしる石尾根の稜線上に位置する奥多摩の山岳。
山頂直下に巨石が連続しており、平将門配下の武将が石化したものと伝承されている。この一連の岩塊を七ツ石神社が祀っている。
「平将門 迷走ルート」は将門が乱に敗れて逃走したという伝承をもとにPRしているコース設定。
[アクセス]
●往路・帰路
JR青梅線「奥多摩」駅から路線バス(西東京バス)で「鴨沢」バス停まで約35分。週末など休日には臨時便のバスが運行されることもあります。
《補足》
2023年のJRのダイヤ改正により、ホリデー快速おくたま号で新宿駅から奥多摩駅に向かう場合、青梅駅でいったん乗換えることになります(直通運転は廃止になりました)。奥多摩駅から新宿駅に向かう場合も同様です。
[国土地理院地図]
<補足情報>
[売店等]
登山道上の七ッ石小屋でドリンクやスナック類が購入できます。
[お食事処]
ビア カフェ バ・テレ ※公式サイト クラフトビール/奥多摩駅
だしまき玉子専門店 卵道 TAMAコレクション ※公式サイト 奥多摩駅
[日帰り温泉など]
もえぎの湯 ※公式サイト 奥多摩駅
河辺温泉 梅の湯 ※公式サイト 河辺駅
[名産品]
わさび
こんにゃく
柚子
[付近の山]
雲取山
川苔山
御前山
奥多摩むかし道
大多摩ウォーキングトレイル
[山小屋等の宿泊施設]
七ッ石小屋 ※公式サイト 自炊小屋
雲取山荘 ※公式サイト
《参考》
石尾根上の奥多摩小屋跡地に今後、新たにテント場が整備される模様です(未確認情報)。
[お天気情報]
雲取山/山の天気 (tenki.jp)
[そのほかの補足]
●奥多摩観光案内所
奥多摩駅そば。各種パンフレット等あり。
●奥多摩ビジターセンター
奥多摩駅近く。登山道情報等の提供あり。
<平安の眠りを醒ます平将門の乱>
平将門は、関東が当時辺境の地であったとはいえ、結果的には平安時代の既存秩序を完全否定する乱を起こしました。天皇に対立する位置づけになるであろう”新皇”を名乗ったわけですから、いわば独立国家を関東に打ち立てようとしたことになったと思われます。
みずから天皇になり替わり、日本の新支配者になろうというのではなく別の秩序に基づく新国家を(旧秩序と並列するように)創設しようとしたところが肝かもしれません。この考えにより関東で揺籃されつつあった武士たちの共感と協力を得て急速に勢力を広げることができた一因だったのでしょうか。新興勢力となりつつあった武士にとっては中央の朝廷に貢献する地位や権益だけに収まっている現状に対する不満という素地があったとも感じます。
中央・朝廷では非暴力・平和的(現代的な”平和”とは異なりますが)な紛争解決と利害調整が行われていました。他方、関東では武士たち同志の間の実力と武力による激しい自力救済(というか武力闘争でもっと殺伐といえば”殺し合い”?)の世界が、すでに実際的には分裂して新しいロジックに基づき胎動していたともいえるかと思われます。
平将門の乱が嚆矢となり前例となり、以後、武士たちによる実力と武力で事を成そうとする精神的なハードルが下がったことは否定できないように印象を受けます。「あのとき将門だって反乱を起こしたんだから、俺たちだってやってやろうぜ!」的なノリでしょうか。
やがて保元の乱・平治の乱そして源平争乱を経て鎌倉幕府が成立します。平将門の乱は結局、失敗に終わりましたが、その乱を終結させたのは朝廷の公家たちの権威・権力ではなく、平貞盛らによる武家の軍事力でした。この流れからやがて平清盛が生まれ、武士による軍事力を背景にした支配が始まります。その意味で平将門はやはり武士の時代を切り開いた先駆けといってよいかと感じます。
<備考>
将門迷走ルートコース (たばやま観光Navi)
平将門 (Wikipedia)
平将門の乱(承平天慶の乱) (Wikipedia)
七ツ石神社 (たばやま観光Navi)
山梨 山のグレーディング (山梨県)
山梨の登山・山岳情報ポータル (山梨県)
山岳情報 (山梨県警察)
<参考リンク>
奥多摩ビジターセンター ※公式サイト
奥多摩観光協会 ※公式サイト
丹波山村観光協会 ※公式サイト
たばやま観光Navi ※公式サイト
秩父多摩甲斐国立公園 (環境省)
西東京バス ※公式サイト
山と高原地図「25.奥多摩 御岳山・大岳山」 (昭文社)
青梅警察署 ※公式サイト
上野原警察署 ※公式サイト
<関連記事>
”七ッ石山”周辺の登山について上町嵩広の関連記事です。一部、外部サイトで配信している記事もあります。
<バックナンバー>
バックナンバーはnote内マガジン「歴史に連なる山登り」にまとめております。
0001 顔振峠と義経伝説
0002 柳生街道
0003 京都・愛宕山と明智越え
0004 石垣山一夜城と小田原城総構
0005 金剛山:楠木正成と千早城跡
0006 箱根・旧東海道と石畳の道
0007 三増峠:北条VS武田 激突の地
0008 いにしえの風を感じるハイキング 大和三山と藤原京跡を巡る
0009 江戸時代往古の風情が薫る旧甲州街道と小仏峠トレッキング
0010 古代日本の風景に思いを馳せる古都・奈良“山の辺の道”トレッキング
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(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
(9) 登山道等の状況については、適宜、現地の観光協会、ビジターセンターや山小屋などの各関係機関にあらかじめご確認くださいますようお願いいたします。
(10) 今般の新型感染症の影響で各種施設等の利用については制限などが行われている可能性があります。ご利用の際には詳細について事前に各種施設等へご確認などをお願いいたします。
(2024/06/19 上町嵩広)