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日米貿易摩擦と日本経済の変遷

森永氏の話に更に自身の調査も加えブログに書きました。

日米貿易摩擦の解消を目指し、アメリカは日米構造協議を通じて日本にさまざまな要求を突きつけてきました。その一例が、海部内閣に対してGNPの10%を公共事業に配分するよう求めたことです。これに応じて、日本は1990年代に「公共投資基本計画」を策定し、10年間で総額430兆円の公共投資を実施しました。この計画の一環として、運輸省は航空会社の「地方空港の新設は不要」という声を無視し、空港建設を進めたのです。「総滑走路延長指標」という新たな指標を用いて、日本各地に空港が乱立する結果となりました。コロナ下では地方空港のほとんどが赤字となり、地方財政を苦しめました。最近の航空需要の回復に伴い、旅客数の増加が見られていますが、持続的な黒字化は難しく、公共財としての性格が強調されています。

さらに、同時期には大規模小売店舗法(大店法)の規制緩和が行われたことにより、海外企業の進出が加速。象徴的な例として、米国の大型小売店トイザらスの日本市場参入があります。このような規制緩和は、国内市場に新たな競争をもたらす一方で、既存の商店街に打撃を与えました。

その後、小泉内閣時代(2000年代)には「年次改革要望書」を通じて、アメリカからの要求で郵政民営化が進められました。この改革により、郵便貯金の資金が市場に解放され、日本の金融システムに大きな変革がもたらされました。そして現在、岸田内閣のもとでは、新NISA(少額投資非課税制度)の導入により、個人の資産が「オール・カントリー(オルカン)」や「S&P500」などの外国株式に流れ込んでいます。これは国民の資産が国内から海外市場へとシフトする大きな転換を示しています。

このように日本はアメリカからの外圧を受け、その後の日本経済に大きな影響を与えています。一方で日本政府から要望でアメリカが従ったことはないとのことです。

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