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ナイトホークはどのように撃墜されたのか
コソボ紛争(1999年)におけるステルス機であるF-117ナイトホークの運用と、撃墜された事件について説明します。
今回書いた内容は、以下Youtubeから引用したものです。ぜひこちらもご覧ください。
コソボ紛争では、NATO軍がセルビアの軍事施設やインフラを空爆する作戦「オペレーション・アライド・フォース」を実施しました。この作戦の目的は、コソボのアルバニア系住民に対するセルビア軍の弾圧を抑止し、民族浄化を止めることでした。
F-117ナイトホークは、敵レーダーを破壊できるミサイルを積んだF-16に護衛され、軍事施設へ向かいました。具体的には、ベオグラードにあるセルビア空軍の司令部を爆撃することでした。パイロットはアメリカ空軍のデイル・ゼルコ中佐でした。セルビア国境に入ると無線で悪天候のため、護衛機は帰投命令を受け、F-117はステルス技術を利用して敵の防空網を回避しながら、単独で侵入しました。
地上ではダニ中佐率いる部隊がソビエト製地対空ミサイルシステム「S-125 ネヴァ」を備え、彼を待ち構えていました。そしてセルビアのスパイが敵機の接近を知らせていました。この時P-18早期警戒レーダーが作動していました。この低周波レーダーを用いてF-117の位置を探知していました。しかしミサイルを撃つにはSAMレーダーでロックオンが必要だったのですが、SAMレーダーにF-117は見当たりませんでした。
F-117が爆弾層を開き、レーダー反応が強まり、地上から2発のミサイルが発射されました。そして1999年3月27日、F-117がセルビア軍によって撃墜される事件が発生しました。この事件は、ステルス技術を誇るF-117が初めて撃墜された例として広く知られています。
ゼルコ中佐は、パラシュートで脱出し、アメリカ軍の捜索救助チームによってヘリコプターで無事救出されました。この救出作戦は、NATOの高い作戦能力を示すものとして評価されています。
12年後の2011年、ゼルコ中佐は自分を撃墜したダニ中佐と会い、彼を祝福しました。
撃墜されたF-117の残骸はセルビア軍によって回収され、一部の部品がロシアや中国に渡った可能性があるとされています。これが他国のステルス技術研究に影響を与えたという憶測もあります。
今日、ベオグラードの航空博物館には、F-117の機体の一部が展示されています。
以下の記事にも詳しく書かれています。
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