仁の心をいつも持つことは大変難しいことだ
(書き下し文)
子(し)曰(いわ)く、回(かい)や、其(そ)の心(こころ)三月(さんげつ)仁(じん)に違(たが)わず。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)るのみ。
(現代語訳)
孔子様がおっしゃるよう、「顔回(がんかい)は幾月(いくつき)も引き続いてその心が仁(じん)をはなれぬが、ほかの連(れん)中(じゅう)は、ある月ある日にたまたま仁までゆくかと思うと、じきに脱線してしまう。」
(私の思うこと)
私自身も最近、驕り高ぶってしまい、それを指摘された経験がある。
その時に気づかされるのも悔しいですが、最も恥ずかしかったのは、学んだはずの事を習得できていなかったということ。
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)という言葉にその全てが詰まっていると思いますが、意味は意思が強く、飾り気がなく無口なこと。
孔子先生は「剛毅木訥は仁に近し。」とも言っています。
最近の私は、口数が多く、その内容も浅はかな、まるで巧言令色(こうげんれいしょく)のような状態でありました。
巧言令色とは、口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること。
自分が気持ちのいいように生きるのではなく、自分はどのように生きるのかを今一度考え改めたいと思っている次第です。