家の中では”父さん”と呼ばない
一般的に両親を呼ぶ時は、「お父さん・お母さん」派と「パパ・ママ」派に分かれると思う。ちなみにベネッセの調査によると、「パパ・ママ」派が優勢らしい(2018年度)。赤ちゃんが言葉を話せるのが1歳くらいなので、そこから”両親と子”という関係性が築かれていく。
我が家では、父親の事を「まーさん」と呼んでいる。由来は、名前が”マサヒコ”なので頭文字を取った。ついでに言うと、母親の名前は”カヨコ”なので「かーさん」と呼んでいる。かーさんに関しては、ニュアンスからお母さんを感じる。問題なのはまーさんの方。僕(ともひ)は生まれてこの方、父親を父親だと思った事がない。もちろん血は繋がっている。どちらかと言えば、反面教師の部分が多かった。
父親(以下:まーさん)を説明すると、『人に優しくて自分にも甘い』。毎朝食後に必ず、決して飲まなくても良い漢方薬を「いつもの(漢方)飲む~?」と聞いてくる。そのくせして、自分はまだ朝食を食べていない。洗い物が遅くなる。本末転倒。いつも他人の期待を満たそうとするが、自分の行動は後回し。この性格は僕にも当てはまるので、余計に悩ましい。それだけではなく、毎朝歯磨きをする時に、コップの中に高確率でまーさんの部分入れ歯が入っている。前に飲み込みそうになったので、本当に勘弁してほしい。しかし、習慣になったものはもう戻らない。今では見つけ次第、他の家族の誤飲を防ぐ為に片隅にそっと置いている。
物心ついた時から、まーさんは反面教師の部分が大きかった。職業は高校の先生だった。だけど、この人が教鞭をとっているなんて信じられなかった。
家族には言ってないけど、僕から見たまーさんは”同居人”だった。第3者の視点から見る事で、自分と似ている部分と重ね合わせ、ダメだと感じたら即修正していた。修正の度に、自分がダメダメだという事に気付く。
ある時、好き嫌いとか、そんな話をしている場合ではなかった。2018年12月、まーさんが脳出血で倒れた。その時から、僕は外の繋がりを目の当たりにした。
日赤の急性期病棟にいた時、多くの方がお見舞いに来てくれた。僕は受験勉強(という体で)でその場にいなかったが、かーさんから送られる写真で、床頭台にお菓子や果物が置かれているのを見た。
僕が福祉の大学に行く事が決まった頃に、父親が勤めていた高校の先生方がお見舞いに来た。狭い病室で、校長・教頭・職員数名が、コップでお茶を飲みながらくだらない話をしていた。
先生方は口々に「マサヒコ先生は優しすぎるんだ」と言っていた事を覚えている。生徒にも甘い。だから生徒に好かれる。同じ先生にも甘い。だから仕事を何でも引き受ける。「我々にも何かしらの責任がある。家族だけの問題ではない。」そう言ってくれた時に、ウチの父親は本当にバカだなと思った。それと同時に、幸せそうだなと思った。
ベッドで半座位のまーさんはボーっとしていて、何の話か分からずただ笑っていた。
ーーーーお世話になった皆様へ。あの日から4年が経ち、お蔭様で週に3回通所リハに通うほど元気になりました。右半身にマヒがありますがが、実際は杖を持たなくても歩けます。家での性格は変わっていませんが、今では「いつも通りだ」という感覚で関わっております。ここからは主観ですが、僕にとってまーさんは依然同居人です。でも、周囲の方々が『マサヒコ先生』と認めてくださっている以上、表面上では僕の自慢の父親です。ーーーー
1人暮らしに疲れ実家に帰ると、家族と同居人が出迎えてくれる。まーさんは会えなかった時間を埋めるように、頑張って言葉を出しながら熱心に話す。僕はいつも「言葉数が多いのは職業病だな」と思いながら、変わってないなぁと安心する。
最後に、
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