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青春、それがいったいなんだったというのだろう
私の青春には暗い影がいつも落とされていた。もがいてもがいて必死に明るい所にいこうとしても、ただ同じところで足踏みしているだけだった。そうしているうちに幻想を見るようになった。
あの子が、もしかして私のことを好きかもしれない。なぜならよく目が合うから。そんなことはよくあった。私は目を合わせないようにした。周りからの目も気になるし、勘違いして、自分が好意があると相手に悟られたくなかったから。
しかし、その子は自分以外の派手な女子と付き合う、といった結末が待っている。
ジブリだの新海誠だのの青春は自分には到底転がってきやしない。
男子は派手な女子が好きだ。派手というのは言い方が違うかもしれない。派手だとパリピのようだが、それも言い過ぎだ。つまり言いたいことは、明るくて目立つ、そして人望がある、である。全ての明るい女子が、そういうわけではないが、その明るい女子がいじめの首謀者であろうとそんなことは彼女のモテの妨げにはならない。むしろ、いじめをしてるがゆえに仕切り上手で自信があり、魅力的だ。
どんな青春がよかったのか、自分に問いかけてみると、やっぱり「耳を澄ませば」であろうか。しかし私はもはや15歳ではない。そしていつも悲しそうな顔をしている。
蝋燭の消えそうな火になっている残りの私の青春はどうも頼りない。そんな青春にしがみつこうとするのも不恰好であろう。
青春、それは果たして存在していたのであろうか。
会社の、コップに注がれる式の自販機はもう半年くらい前、(いやもっと前かもしれない)に撤去された。ふと思う。あの自販機は本当に存在していたのだろうか。私があの自販機でキャラメルラテを買っていたのは幻だったのではないか。そして現在まぎれもなく自販機はコカコーラに取って代わられた。
と、いった具合に、私の青春も幻だったのではないか、とも思う。
数少ない友達と、相談室ではしゃいでいたことも、好きだった男子とたまに目があった?ことも、その男子が私を嘲笑ったことも、未来に希望を抱いていたことも、居場所のない部活で、先輩の送別のために歌の練習を中庭でし、どうしようもなくただ空を眺めていたことも全ては幻だったのではないか。
青春、それがいったいなんだったというのだろう。
私はそんな未練がましい過去のことなど脳の海馬から消し去り、今ただお茶を入れるためにお湯を沸かすのを待っていることに集中するべきかもしれない。
そうだ、もう消えたのだ。あの自販機のように青春は消えたのだ。有り余る残りの人生をマイペースで生きろ。それが私による、青春への未練たらたらな私へのメッセージだ。
私よ、もう一度言う。青春、それがいったいなんだったというのだ。
青春はただの自販機だ。
これを読んだ、物好きなあなた、あなたがどんな青春を送っていたのか、あるいはいるのかしらないが、それはただの自販機だ。
とるに足らないものなのです。